第一回「寺田真理記念日本研究賞」記念講演会
2014年7月9日/大手町サンケイプラザ
日本人が海外に出て、初めて日本の良さ、美しさに気づくように、寺田真理記念日本研究賞を受賞した中国とアメリカの碩学が訴えかけた話は、ふだん私たちが意識もしなかった「日本」を呼び起こしてくれたような気がします。
劉岸偉氏とケビン・ドーク氏の講演は学問研究の細部にわたりやや難解な内容にもかかわらず、みなさん、熱心に耳を傾けていたのが、その証ではないかと思います。
今後の日本と世界との関係を考える上でも、じっくりとお読みください。
櫻井よしこ理事長 - あいさつ
寺田真理記念日本研究賞は、私たちがこの三年間、本当に一生懸命に準備をしてきたものです。国家基本問題研究所をつくったとき、私たちはみんなで一緒にこの国を変えていこう。みんなが一緒になればできるはずだ。そのために、意見広告を出したり、セミナーをしたり、いろいろなことをしてきました。そして、日本研究賞をつくりたいという思いは一つの大きな目標でした。それを可能にしてくださったのが、寺田真理さんです。
寺田さんからご寄付いただいた一〇〇万ドルを原資に、この日本研究を奨励する賞を創設することができました。
第一回目の受賞者は本当に素晴らしい方々です。ケビン・ドークさんも、劉岸偉さんも、ワシーリー・モロジャコフさんも、ブランドン・パーマーさんも、それぞれの分野で素晴らしい活躍をされています。こうした外国の新進気鋭の中堅、若手の研究者が多く育ってくだされば、日本のことが広く深く国際社会に理解されることになるだろうと、私は大変に心強く思っています。今日は四人の受賞者の中から、ケビン・ドーク先生と劉岸偉先生に講演をお願いすることになりました。
劉岸偉さんは一九八二年に来日されました。日本に来られたときは四、五年ぐらいで中国に帰るつもりだったそうです。ところが、天安門事件などが起きたりして、中国に帰っても、どうなるか分からないという不安感もあって、日本で研究を続けることになりました。そして今回、受賞の対象となったのが周作人の研究です。
周作人は、魯迅の実の弟で、かなり長生きをした方です。この方の一生を、劉さんは非常に丁寧にたどり、そのときの時代の空気、そして、周作人が暮らし、行動した周りの状況といったものを、あたかも私たちがそこにいるかのように感じさせてくれる非常に流麗な文章でお書きになっています。魯迅もそうですし、周作人もそうですが、このような、日本をよく理解し、また中国の非常に深い教養を身につけた人々がいたということを知り、現在では、劉岸偉先生ご自身がそのような存在であると感じました。
今、日中関係は本当に最悪です。今日も習近平主席が日本の悪口を言っていました。しかし、こんなに素晴らしい人材がいらっしゃる。そのことに、私たちは日中関係の改善のみならず、人類の改善、人類のよりよい関係を築くといった意味で、希望の灯火を見出す思いです。
ケビン・ドーク先生は、高校生のときに日本にいらっしゃいました。長野県上田市の上田東高校で交換留学生として勉強して、そのまま日本にいて、大学に行きたいと思うくらいに日本を好きになってくださいました。それでも、アメリカにお帰りになり、大学を卒業し、博士課程まで進まれて、また日本に戻ってこられ、今は日本とアメリカをたびたび往復しておられます。来年は一年間、京都を拠点に日本で研究をなさることになりました。
ケビン・ドークさんはこれまで、日本のメディアにもたびたび登場しています。どのような形で登場したのか。ケビン・ドークさんはカトリック教徒でいらっしゃいます。そのドークさんが、日本という国を見たとき、日本は神道の国です。しかし、神道が決して独断的でも閉鎖的でもなく、極めて寛容な、他の宗教を受け入れる排他的でない宗教だということ。そして、包摂的で健全な国民主義の国が日本であり、神道の考え方であるという観点から、日本人でもわかりにくい、外国の方にはもっとわかりにくい神道というもの、これは日本の文明の核だと思いますが、この神道の価値観について本当に心強く解釈をしてくださり、日本のことを理解してくださる。そのような論文などをたくさんお書きになって、コメントも発せられています。
そうした関係で、日本の新聞にはたびたび登場しておられますので、みなさま方の中にはもうよくご存じの方もいらっしゃると思います。ドーク先生には第二部でお話をしていただきます。
このような日本研究賞を民間の私たちが創設しましたが、本来は日本国政府にやっていただきたいプロジェクトです。私たちが、政府に先んじて、このようなことをすることができるのは、直接的には寺田真理さんのご厚意のゆえですが、これまでの六年間、最初から私たちを支えてくださった、国基研のすばらしい会員のみなさま方のおかげです。理事長として、深くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
では、第一部に入りたいと思います。劉岸偉先生、よろしくお願いいたします。
劉岸偉・東京工業大学外国語教育研究センター教授 - 『周作人伝』と日中関係
私は周作人についての本を書きましたが、周作人は二十世紀の中国で、もっとも優れた散文作家の一人です。彼の八十二年に及ぶ生涯は、まさに波乱万丈でした。
ある長い時期において(文化大革命の一九六〇年代半ばから七〇年代まで)、彼の名を語るのはタブーでした。
しかし、一九八〇年代以降、中国大陸はようやく従来のイデオロギーの束縛が解かれ、思想、歴史、文学など、いろいろな領域でかつてない活況が現れてきました。そんな中で、周作人の作品も解禁されたのです。再び読まれるようになって、今はかなり根強い人気があります。周作人をめぐる評価はある意味で、中日関係の起伏にも連動しているように思います。
例えば、彼が復活した八〇年代の最初の十年間は、日中関係がもっとも良好で平穏な時代でした。そんないい時代の八二年に私は日本にやって来ました。当時、千代田線の終点・綾瀬駅から、さらに支線の終点駅・北綾瀬に下宿していました。しかも、電車の本数が極端に少なくて、友だちと「あそこは東京の大田舎なんだよ」と冗談を言っていました。とにかく、東大の駒場に通うのには非常に遠い下宿でした。... < 続きを読む >
ケビン・ドーク・米ジョージタウン大学教授 - 日本とわたし
私は三十七年前、交換留学生として初めて日本に来ました。まだ高校生でした。そのときから私は大きな夢を抱いていました。それは、日本についての研究を続けていって、いつか、日本の方々に「彼の書いていることには、一理あるのではないか」と認めてもらえる日がくるのではないかということでした。それを、ずっと待っていました。
今回、このような素晴らしい賞をいただいたことは、一部の日本の方々が私の研究を認めてくださったということで、私の夢が少しずつ実現するようになってきたのではないかと思います。
過去三十七年間を振り返って、日本と私の関係がどう変わってきたのか。日本と世界の関係がどう変わってきたのか。そして、日本のツァイトガイスト(Zeitgeist=時代精神)の変化によって、私の考え方がどう影響されたのか。そうした点について、今日は、学術的な分析や論文ではなく、個人的な話をしたいと思います。
日本と世界の関係、日本と米国の関係、そして、私と日本との関係は、時代とともに変わってきました。そこで、この三十七年間を四つの時代(期間)に区切り、それぞれの時代を振り返って、私の印象を説明したいと思います。... < 続きを読む >