公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

斎藤禎の記事一覧

60年安保闘争が高校にまで及んで、「アンポハンタイ!」の怒号が校庭に響いていた初夏の頃、クラスきっての〝文学少年〟S君から、江藤淳の『作家は行動する』を薦められた。意味深なタイトルだったので、学校があった都電の駕籠町(当時)近くの書店に急いだ。しかし、難解な本で、運動ばかりしていた身(といっても、スポーツだが)には、まるで歯が立たなかった。17歳になる頃、S君の助けを借りてやっと読了したが、「文体...

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 60年安保のとき、高校2年生だった。 6月の昼休みの校庭では、「アンポハンタイ」、「岸を倒せ」と腹に響くような声を発しながら、少なからぬ生徒たちが、隊列を組んでいた。国会周辺で大きなデモがあった翌朝、ホームルームに行くと、輪の真ん中で、「きのう、警備のお巡りに蹴飛ばされた」とズボンの裾を捲り上げた級友が、脛の青あざを見せていた。 秋になると、開校以来続いてきたという伝統が売りの校内雑...

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 「村上春樹氏有力」との予想に反して、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したしばらく後に、国際政治学者の袴田茂樹氏が「芸術性とは無関係だが」と前置きして、「イシグロ文学は歴史の不条理を浮き彫りにしている」と簡潔に評したことがある。(産経新聞2018年1月16日) 袴田氏が喝破したもの 袴田氏は、イシグロ氏の初期3作品である『日の名残り』、『浮世の画家』、『遠い山なみの光』を取りあ...

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 森喜朗氏(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長)の「女性が多い理事会の会議は時間がかかる」という発言をめぐって、心ある五輪担当記者たちは悩んでいる。 森氏の「女性蔑視発言」は、JOC(日本オリンピック委員会)の臨時評議員会席上でのことだが、出席者からの笑いが、さざ波のように広がっていったという。その笑いとは、「また失言か、森さんはしょうがないな」という笑いなのか、「そうだそうだ、その...

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 コミックの『鬼滅の刃』が、映画化などさまざまな波及効果で空前のブームとなっている。また、フリーランスライターへのセクハラや報酬未払い問題があったり、出版界は何かと話題が多い。「出版は不況に強い」という神話が新型コロナ禍でも生きているように見える。しかし、これはまったくの誤解だ。数字が如実に物語る。 出版界の売り上げのピークは1996年で、書籍と雑誌を合わせて2兆6000億円だったが、現在は...

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 三つの文章を並べてみる。 ① 時刻は夜十時ごろである。城の後門からひそかに忍び出た。このとき城門の衛兵が、「たれか」と銃をかまえて誰何した。慶喜はすかさず、「御小姓の交替である」といった。 ② 四ツ(午後十時)すぎであった。門のかたわらに立つ衛兵が、近づく慶喜たちを眼にして、「だれか」と声をかけた。板倉が「御小姓の交替である」と、答えた。 ③ 夜陰に乗じて大坂城外に出た。ときに...

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 アメリカの南北戦争(1861~1865)に関連した作品で、「聖書のように読まれ、聖書のように売れた」と喧伝される作品が、少なくとも2作ある。ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』とマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』である。 南北戦争から70余年の視点 ミッチェルは『風と共に去りぬ』の中で、戦後アトランタに進駐してきたWASP(ワスプ)の夫人たちをこう非難している。「『アンクル...

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 米ミネソタ州で黒人男性が警官の暴行を受けて死亡した事件以降、全米で激しい抗議運動が続いている。余波は映画にも及び、アカデミー賞作品『風と共に去りぬ』には差別的な表現があるとして、その配信が一時停止された。  時は1960年に遡る。16歳、高校2年生になったばかりの私は、学校の図書室で『風と共に去りぬ』を見つけた。時あたかも“60年安保”騒動が最高潮に達したころで、級友の何人かは国会前のデモに...

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 江藤淳の労作『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』が、このほど"CLOSED LINGUISTIC SPACE-Censorship by the Occupation Forces and Postwar Japan"として英訳された。国際広報という観点からすれば、マッカーサー占領軍がポツダム宣言の意図に反して、隠微かつ過酷な検閲を徹底して日本の文化・慣習・マスコミ等に加えたことが、白日...

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 沖縄県石垣市に本社を置く「八重山日報」という新聞を購読している。首都圏に届くのは郵送のため2日遅れだが、ブランケット版8ページの日刊紙だ。  この新聞が面白いのは、尖閣諸島周辺の領海や接続水域に中国の公船が入った場合に必ず1面で特筆されること、「みなとだより」と題して、那覇港や石垣港などの船の発着が知らされること、などにある。同様に「空の便」も、那覇、宮古、石垣、与那国など沖縄の各空港の運行情...

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 旧臘26日付産経新聞の「正論」欄で、憲法学者の百地章氏が「『9条2項』改正派に誤解はないか」と訴え、次のようにお書きになった。  <故江藤淳氏も同様で、「交戦権の否認」は「主権の制限」であり、これによってわが国は「自衛権の行使」さえできなくなった、と誤解していた(同『一九四六年憲法-その拘束』)>  江藤淳の『一九四六年憲法―その拘束』は、『諸君!』1980年8月号に掲載されたが、憲法論議が...

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 今年の新聞週間の標語は、「新聞で見分けるフェイク知るファクト」だったそうだが、せんだっての日曜日、福田恆存を読んでいたら、氏の新聞批判にぶつかった。 「毎朝、毎晩、ああいふものを読んでゐたのでは精神衛生上、頗る有害である。予防医学的見地から言へば、新聞と称するものを一切読まぬことをお薦めする。それでも一向日常生活に支障を来さない。たとへ日本の政治、社会に関する重要問題について、考慮に値...

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 国基研恒例の「月例研究会」が9月27日にあった(東京・イイノホール)。「トランプ政権と北朝鮮問題」が主たるテーマだったが、櫻井よしこ理事長、島田洋一企画委員と並んで壇上に立った田久保忠衛副理事長が、「みなさん、マッカーサー・ノートという傲岸不遜なメモがかつて存在し、そこには、自衛のための軍事力さえ日本に持たせてはならないとあったのですよ」と発言すると、場内には、静かなどよめきが広がった。 ...

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 外国理解の難しさは今に始まったことではないが、アメリカ南北戦争の南軍の英雄リー将軍の銅像撤去をめぐるバージニア州シャーロッツビルでの衝突事件を報じる日本の新聞、あるいは知米家といわれる人々の論評を見ると、首をかしげざるを得ない。  白人至上主義や今なお残る人種差別への言及、あるいは暴力を振るう双方どちらも悪いとツイートしたトランプ大統領への批判などがその大半だが、しかし、そんな論評は、あまりに...

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 現役の編集者だったころ、よく山本夏彦老を事務所に訪ねた。満月のような丸い顔をほころばせて迎えてくれた。しかし、人を射抜くような目が時に怖かった。山本老は、新聞を徹底して批判した。「記事はまじめくさって、たわけたことを書く。広告は割引いて読むからいいが、記事は額面通り読むからいけないのである」(『かいつまんで言う』)  いま、新聞、テレビは、加計学園、そして稲田朋美防衛相と南スーダン国連平和維持...

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 この5月3日、日本国憲法は施行70周年を迎える。  金森徳次郎(1886~1959)は、昭和21(1946)年、第1次吉田茂内閣の憲法担当国務大臣として入閣し、帝国議会で約千五百回もの答弁をこなした。自ら「憲法の産婆役」と称し、国民の憲法への理解を求めて各地を行脚した。  そのため、現憲法最大の擁護者と目された金森だが、昭和33年、日経新聞の『私の履歴書』に登場し、「(憲法の)実体に悪いとこ...

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国基研理事 斎藤禎     「日本人である。みんな日本人である。(略)群衆の中から歌声が流れはじめた。『海ゆかば』の歌である。(略)民族の声である。大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかつた。」  敗戦の翌日、昭和20年8月16日の朝日新聞は、前日の皇居前広場の光景をこう伝えた。当時の新聞は、不足する用紙事情で新聞紙表裏の2ページ建てだ...

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国基研理事 斎藤禎    靖国神社には、出撃前夜アリランを歌って沖縄に特攻出撃した朝鮮出身の光山文博陸軍大尉や、李登輝元台湾総統の実兄の李登欽海軍上等機関兵など、およそ5万人の朝鮮・台湾出身者が祀られている(秦郁彦著『靖国神社の祭神たち』)。ここで取り上げる洪思翊(本人は自らを日本読みで「こう・しよく」と呼んでいた)陸軍中将も、その1人である。  ●戦犯として処刑  ...

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国基研理事 斎藤禎 文藝春秋の名編集者と謳うたわれた池島信平は、われわれ後輩に「いい雑誌を作りたかったら昔の雑誌の目次を見ることだ」といつも言っていた。習い性となって、現役編集者の時代はとっくに終わっているのに、ことあるごとに以前の雑誌の目次を思い起こしている。 集団妄想を暴いた匿名グループ 文藝春秋編集部に最初に配属されたのは、昭和49年、50年、51年だった。いまからもう40年近...

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