「日本人である。みんな日本人である。(略)群衆の中から歌声が流れはじめた。『海ゆかば』の歌である。(略)民族の声である。大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかつた。」
敗戦の翌日、昭和20年8月16日の朝日新聞は、前日の皇居前広場の光景をこう伝えた。当時の新聞は、不足する用紙事情で新聞紙表裏の2ページ建てだった。だが、報道すべきニュースはあまりにも多い。改行なしの紙面は小さな活字であふれんばかりだった。
●GHQの逆鱗に触れた記事2本
9月15日には、「新党結成の構想・上」として政治家鳩山一郎氏の談話が載っている。鳩山氏は新党への思いを語る一方、「戦後復興の諸政策は」と記者に問われて、「〝正義は力なり〟を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう。極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身彼らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしめること(略)」と、孫の由紀夫元首相からは想像もできぬような硬骨ぶりを見せた。
9月17日には、「求めたい(日本)軍の釈明 〝比島の暴行〟発表へ 国民の声」という記事がある。最後の部分に記者の見解として、「今日突如として米軍がこれを発表するにいたつた真意はどこにあるかといふことである。一部では、(占領軍上陸以来の米兵の)暴行事件の報道と、日本軍の非行の発表とは、何らかの関係があるのではないかといふ疑問を洩らす向(むき)もある。」と書く。日本軍の暴虐は当然反省しなければならない、しかし、今の時点で敢えて公表したのは現に増えつつある米兵の犯罪を「どっちもどっちだ」と相殺しようとする意思が占領軍に働いているのではないか、と記者は疑念を表明しているのだ。
この二つの記事は、連合国軍総司令部(GHQ)の逆鱗に触れた。
●発行停止から自己検閲強化へ
朝日新聞は18日午後4時から20日午後4時までの48時間、新聞発行の停止を命じられた。朝日新聞縮刷版の欠落といえば、共産党幹部とのインタビューをねつ造した「伊藤律架空会見記」があるが、昭和20年9月の縮刷版からは19日付と20日付がするりと抜け落ちている。この空白こそ、占領軍の検閲に抗して言論の自由を守ろうとした当時の朝日新聞記者諸氏の名誉の記録でなくて何であろうか。
が、朝日新聞首脳は言論の自由よりも経営を選んだ。山本武利氏の労作『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』(岩波書店刊)には、「検閲優等生の朝日新聞」という一章がある。占領軍からのさらなる処分を避けるために社内の自己検閲システムを強化し、同書によれば、「とりわけ、毎日、読売に比べ(検閲処分件数で)朝日の少なさが目立つ。同紙は事前検閲時代から検閲当局の覚えめでたいメディアであった。」とある。君子は豹変す。(了)