集団的自衛権は国際法の概念である。「わが国は集団的自衛権を有するが、憲法上その行使は許されない」という政府見解は、国内法(憲法)と国際法(国連憲章)とに関わる問題を取り上げながら、国内法の論理のみで推論している。しかし、その憲法自体が第98条2項で国際法の遵守に触れている以上、国際法との整合性にも配慮する必要があるだろう。
国内法と国際法の間には、条文解釈の基準に差異がある。国内法の場合には、複雑な諸要素の検討が必要であり、立法の趣旨は決め手にならない。条約の場合は、国家主権絶対の原則により、原締約国の集団的意思、即ち立法の趣旨が決め手となる。
●国連憲章原締約国の意思はいずこに
慣習国際法によれば、主権国家には、自国または他国に対する急迫不正の侵害に対して自衛権を行使することが認められている。これは、国内法の「正当防衛」とパラレルの概念である。例えば、わが国の刑法第36条には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」とある。どちらも自国(自己)と他国(他人)とを区別していない。
集団的自衛権は国連憲章により導入された新しい概念である。その解釈にあたっては、憲章作成会議における審議の経緯を踏まえる必要がある。
憲章原案では、平和と安全の問題については五大国中心の安全保障理事会に絶対的権限を与え、例外として各加盟国に自衛権の行使を優先的に認めることになっていた。この規定は広く反発を招いた。反対論を主導したのは米州諸国である。
米州諸国は、その直前に「チャプルテペック議定書」を採択して、既に米州機構の設置と全米相互援助条約の締結を予定しており、安保理が自衛権を恣意的に狭く解釈して地域的機関の存在さえ認めないのではないかとの疑念を抱いた。そこで、その絶対的権限に歯止めをかけようとしたのである。
結局、五大国側も地域的機関による地域紛争の解決を優先することを認めて決着した。すなわち、集団的自衛権という概念は、慣習国際法の自衛権を全面的に確保するために導入されたものであり、自衛権を2分割して、集団的自衛権を殊更に強調する意図は毛頭なかった。
●将来の地域安保参加も不可能に
集団的自衛権は諸国が安全保障条約を締結する際の法的根拠となるが、条約が発効すれば、集団的自衛権の行使は原則として締約国の義務に転換する。
したがって、わが国が集団的自衛権の行使を不用意に否認すると、不測の支障が生じかねない。第一に日米安保条約の場合、集団的自衛権の行使が義務となるのはわが国の施政の下にある領域に限定されるが、その領域外でも集団的自衛権は本来の権利として残っている。同条約を締結した際に、わが国が「行使できない」という政府見解について米国の了解を得ていたのか疑問である。政府見解にこだわるなら、米国の不信感を増幅させるだけである。第二に、わが国は集団的自衛権の行使を否認し続ける限り、将来の国防戦略策定の際に、諸国に対して新規の集団安保体制を提唱する資格を失うだけでなく、そのような地域的取極に参加できないことになる。(了)