8月4日、令和8年版防衛白書が公表された。「戦後最大の試練の時」との脅威認識は的確だが、それに見合う議論が伴っているとは言い難い。第一に、三正面の核保有国(中国、北朝鮮、ロシア)に囲まれた構図を自ら描きながら、米国の「核の傘」の信頼性に関する議論がない。第二に、継戦能力の重要性をウクライナ戦争の戦訓として掲げながら、弾薬備蓄や継戦日数の自己診断がない。第三に、防衛関係費の国内総生産(GDP)比2%の前倒し達成で議論が止まり、「2%の次」の防衛力と財源に触れていない。中でも深刻なのが、核をめぐる思考停止だ。
●防衛相発言と大きな落差
中国は核搭載可能な中距離弾道ミサイルを1000発以上保有し、核戦力を質量ともに急ピッチで増強している。北朝鮮は核兵器の小型化・弾頭化を実現し、「日本列島は核爆弾によって海に沈められなければならない」(2017.9.14朝鮮中央通信)と公言して憚らない。ロシアもウクライナ侵略以来、核による威嚇・恫喝を隠さない。三つの独裁国家の核の脅威に直面する国は、日本をおいて他にない。
小泉進次郎防衛相は「核についてタブーなく議論しなければ、安全保障を確立することはできない」と発言し、メディアや被爆者団体から厳しい批判を浴びた。だが、議論の封殺で国民の命は守れない。発言は至極まっとうである。ところが、おひざ元の防衛省が公表した白書は、「核の傘」の信頼性を含め、議論を避けている。大臣の問題提起を、白書は正面から受け止めていない。6月11日に党議決定された自民党の提言も、日米拡大抑止協議の「深化」をうたうにとどまる。日本維新の会が日本型核共有の制度的検討や米国の海洋発射核巡航ミサイル(SLCM-N)配備計画を見据えた具体策を論じているのと比べれば、落差は歴然だ。
今議論すべきは、SLCM-N搭載潜水艦の寄港を想定した非核三原則の一つ「持ち込ませず」の再検討、核共有の適否などである。核兵器運搬手段が日本周辺に存在しない「核の傘」は、破れ傘になりつつある。検討すらしないことと、検討の上で選択することとは、抑止力において天と地ほどの差がある。
●議論から逃げるな
核廃絶は人類の究極の目標であり、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の長年の営みには心から敬意を表したい。だが、廃絶が実現するまでの間、核の脅威が厳然と存在することも忘れてはならない。唯一の被爆国であることは、核攻撃を免れる特権ではない。被爆の惨禍を知る国だからこそ、二度と国民を核の犠牲にしないための議論から逃げてはならない。議論なき安心は、安全ではない。政府は今こそ「タブーなく議論」する時である。(了)




