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髙池勝彦

【第59回】司法は真実発見重視を―小沢氏の強制起訴に思う

髙池勝彦 / 2010.10.12 (火)


国基研理事・事務局長 高池勝彦

小沢一郎氏の資金管理団体陸山会の金銭疑惑について、検察審査会は10月4日、前回の4月27日に続いて2度目の「起訴相当」の議決を行つた。

検察審査会制度は、占領軍の勧めにより、「公訴権の行使に民意を反映させてその適正を図る」ために、昭和23年から実施されてゐる。

しかし、従来は、起訴すべしとの議決があつても、検察官が無視すればそれまでで、形骸化してゐるといはれてきた。そこで、昨年5月から実施された改正法では、検察審査会が2度起訴相当と議決した場合には、強制的に起訴することになつた。

国民の司法参加の意味
前回も今回も、審査会では、証拠を検討して、検察官の不起訴処分は不当であると議決したわけであるが、今回、「検察審査会制度は、……国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである」といふ。

裁判に一般国民を関与させる制度としては、やはり昨年から実施されてゐる裁判員制度がある。裁判員制度は、一般国民が刑事裁判に関与することが、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ」制定された。

いづれの制度も真実の発見に資するとはうたはれてゐない。しかし、裁判官や検察官といつた法律の専門家だけでは、場合によつては、強制された自白を見逃すなど、真実を見逃す可能性があり、かへつて素人の方が真実の発見に資する面があるといふのが、陪審制などの市民参加の司法であるはずである。

「民衆裁判」の危険
私個人は、現行の裁判員制度は憲法違反であり、このやうな制度を導入するには憲法改正が必要であると考へてゐる。憲法問題を除外したとしても、一般人参加の司法制度は、他方で、民衆裁判の危険性があるので、この兼ね合ひこそが慎重に判断されなければならない。

小沢氏の起訴相当の議決自体に異論をさしはさむものではないが、「国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考え」は、民衆裁判助長の可能性を高めるのではないかといふ意味で、危険な面を含んでゐるといはなければならない。

我が国の司法は伝統的に、刑事事件・民事事件を問はず真実義務(真実を尊重する義務)を重視してきた。これは刑事事件についていへば、真犯人を見逃さないこと(冤罪防止)と真犯人を正しく処罰することなどの面がある。後者を追求しすぎると、自白の強要につながるといはれる。今こそ我が国の司法の伝統に立ち返つて、自白の強要防止など均整のとれた真実義務を重視すべきである。(了)

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第59回:司法は真実発見重視を―小沢氏の強制起訴に思う