筑波大学名誉教授 土本武司
巨悪を剔決するはずの検察が悪の巣窟の観を呈するに至った。大阪地検特捜部の主任検事がこともあろうに証拠物を改ざんし、最高検により証拠隠滅罪で逮捕・起訴され、その上司である同部長・副部長が犯人隠避罪で逮捕・起訴された。
起訴した側(最高検)もされた側(特捜部)も検察の幹部ということ自体異例。両者ともプロ中のプロで、互いに相手の手の内を知り尽くしているうえ、被告人らは徹底抗戦を宣明しているから、法廷では熾烈な闘いが展開されよう。
拙劣だった村木元局長の捜査
両事件のもととなった厚生労働省元局長、村木厚子さんの虚偽公文書作成罪の捜査・公訴維持が、拙劣きわまりないものであることは言うまでもない。
また両事件の捜査中に、尖閣諸島沖の漁船衝突事件に関し那覇地検がとった中国人船長の釈放措置や、検察審査会が民主党の小沢一郎氏に2度目の「起訴議決」を出したことに関し東京地検特捜部が再度にわたりとった「嫌疑不十分」による不起訴裁定の措置も問題となり、特捜部解体論すら出ている。
もともとフランス法を手本に強制捜査の主体を予審判事としていた明治期の刑事訴訟法下にあって、検察は事実上捜査の主体となって積極的に活躍し、予審を不要なものとし、証拠の取捨選択・起訴価値の判断に「精密司法」の名にふさわしい緻密な作業を行い、それに加え「起訴猶予」制度と相まって有罪率99%という驚異的な成果を上げてきた。
そんな検察の代表と国民の目に映ったのが特捜部だった。警察では手の出しにくい政財界の汚職事犯などを独自捜査方式で摘発するというのは、見る者にとっては溜飲の下がる思いがすることから、喝采を博してきたのである。
特捜部は1カ所に
「ロッキード事件」以来、伊藤栄樹元検事総長の「巨悪を眠らせるな」との名言があたかも特捜部固有の理念であるかのごとくもてはやされ、いつの間にか特捜部にある種の特権意識が生まれるに至った。
そして、巨悪に立ち向って正義を実現するという使命感よりも、組織内で手柄を立てようという成果主義に偏り、それを実現するため描かれた当該事件の「筋書き」に合う供述だけを重視するという手法がとられた。それが「真相解明義務」の手段として不適切であることは明白である。
特捜部全廃論は暴論である。ただ、特捜部の捜査対象となる可能性のある事案の発生頻度から考えて、全国3カ所に設置する必要はなく、最高検か東京地検のどちらか1カ所に設置することにし、発生する事案の規模によっては全国検察庁からの応援を求めるという方法をとるのが妥当であろう。
最後に一言。検察官に特別な才能は必要としない。ただ、供述、とくに否認供述の真偽を嗅ぎ分ける力は犬の嗅覚のように鋭敏である必要がある。(了)
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第62回:特捜部全廃は暴論(土本武司)