国家基本問題研究所は7月4日、第5回日本研究賞をロバート・モートン中央大学教授、同特別賞を崔吉城・東亜大学教授に授与する。
モートン教授は受賞作「A. B. Mitford and the Birth of Japan As a Modern State: Letters Home」(ミットフォードと日本における近代国家の誕生―母国への手紙、英ルネッサンス・ブックス=邦訳なし)について受賞記念講演を行う。明治維新期に日本に駐在した1人の英外交官の目を通して、近代国家へ向かって急速な変化を見せる日本の実相に迫る作品で、維新150年の今年にふさわしい受賞である。
一方の崔教授は、「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』」(ハート出版)のタイトルが示すように、主として先の大戦中に書かれた日記にスポットを当て、慰安所の実態を明らかにしている。
●西洋至上主義から脱却
明治維新前後の英外交官といえば、公使のハリー・パークスや通訳生として派遣されたアーネスト・サトウが日本でよく知られているが、公使に次ぐ地位のアルジャーノン・ミットフォードはイートン校、オックスフォード大で教育を受けた貴族階級で、本国での知名度は高い。
1866年から3年半の日本在任中、明治天皇にも御簾越しでなく、直接謁見しており、若き天皇に聡明さを見ている。最も衝撃を受けたのは、備前岡山藩士、瀧善三郎の切腹に立ち会ったことだろう。死の恐怖を乗り越え、サムライ階級の名誉を守ろうとする強さを手紙の中で伝えようとしている。
日本に対しては好悪の感情が入り交じっていることも否めない。しかし、モートン教授の受賞作を読めば、ミットフォードは西洋至上主義ないしはキリスト教至上主義的な視点から脱却していたことがうかがえる。
●慰安婦問題の見方は客観的
慰安所日記は、ビルマ(現ミャンマー)やシンガポールなどで書かれたものだが、日記原文はハングルに漢字、日本語のカタカナ、平仮名が混在しており、著者のような研究者でないと読み解くのが難しかったと思われる。韓国ではこの日記が軍や警察による強制連行があった確証であるとされるが、日記には慰安婦の募集の過程は書かれていない。崔教授は、慰安婦問題について極めて客観的で公平な態度を取っているといえる。教授は1999年に日本へ帰化し、慰安婦問題に取り組むのは責務であるとさえ述べている。(了)