公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

田久保忠衛

【第686回】戦闘的自由主義者、塚本三郎

田久保忠衛 / 2020.06.08 (月)


国基研副理事長 田久保忠衛

 

 旧民社党を自民党と旧社会党の中間に位置する政党だったと誤解している向きがいまだに少なくない。とんでもない浅い解釈だ。政党を右とか左といった単純な尺度で分類するしか能がないのか。
 春日一幸委員長、塚本三郎書記長時代の1978年に、栗栖弘臣統合幕僚会議議長の解任問題が発生した。日本が奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで自衛隊は動きが取れないので、超法規的行動に出ることはあり得る、と栗栖は述べ、自民党の金丸信防衛庁長官に文民統制違反の発言であるとして解任された。
 自民党より左に位置するはずの民社党は栗栖を全面的に支持し、次の参院選で東京地方区の公認候補として栗栖を擁立し、元自民党ハト派代議士の宇都宮徳馬との一騎打ちに出たが、惜しくも僅差で敗れた。塚本先生は栗栖擁立に中心的役割を果たされた。

 ●思い出の深夜勉強会
 戦後の日本の思想界を覆っていたマルクス主義はいろいろな形で社会に悪影響を与えてきたが、これに対して果敢な攻撃を展開したのは自民党や公明党ではなかった。民社党綱領を書いた関嘉彦東京都立大学名誉教授ら戦前の自由主義者河合栄治郎の門下生、極左勢力との抗争を勝ち抜いてきた労働運動家、マルクス主義に不満を抱き正しい実践の場を求めていた知識人らをまとめた民社党が、他の政党に比べてとりわけ戦闘的エネルギーを秘めていたのは当然だった。右や左の体裁ではなく、不正打破に突進する闘志の固まりだった。
 30歳前後で通信社の外信部に配属され、海外ニュースの処理に没頭していた私は、ときどき民社党の幹部会に招かれ、国際問題の説明を頼まれた。西尾末広、伊藤卯四郎、西村栄一、曾禰益、春日一幸、佐々木良作、池田禎治、塚本三郎、永末英一、大内啓伍氏らがずらりと並ぶ会議は知的緊張に満ちていて、壮観だった。中でも若き論客、塚本先生の質問は鋭かった。
 先生と特に親しかった吉田忠雄明治大学名誉教授が中心となり、先生を囲む勉強会ができた。歴史・皇室問題の村松剛、経済全般の加藤寛、それに外交・防衛問題の私を含め、5者会合を何回開いたことか。吉田さんから「本日9時半、○○に集合」の声がかかると、忙しいメンバーが全員集まった。「9時半」は夜の9時半で、着席するなり熱のこもった議論が2時間展開され、すぐ解散だ。私自身にとっても、どれだけ勉強になったか。

 ●国基研創設以来の支援者
 人間味のある人だった。衆院本会議における塚本演説を視聴していた床屋のおやじさんが感極まって「この人を首相にしたい」とつぶやいた話に、子供のように相好を崩していた。かばってはならない悪徳政治家候補を、不利を承知で擁護し続けた。日蓮宗を奉じて静かに旅立たれた。国基研を創設時から全力で後押ししてくださった。誇るべき恩人である。(了)