新型コロナウイルスが猛威を振るっていた4月、ドイツ最大の日刊大衆紙ビルトの編集局長が習近平中国国家主席に公開書簡を送り、話題になった。公開書簡は、ウイルスの全世界への拡大は中国に責任があると追及する内容で、「習主席よ、あなたは監視することで国民を統治しているが、なぜあれほど危険な武漢の海鮮市場を監視できなかったのか」「コロナが漏出した疑いのある武漢の研究所をなぜ、政治犯収容所ほど厳しく密閉できなかったのか」などと皮肉たっぷりに問い詰めた。
大きな影響力を持つ大衆紙が、これほど挑発的な書簡を出したことで、中国に対するドイツ世論の風向きが劇的に変わり、それが「脱中国」へ向かう政策的転機になる可能性さえ否定できなかった。
●覇権拡大を事実上容認
だが、7月からの欧州連合(EU)議長国就任を前に、メルケル・ドイツ首相が5月末に行った外交安全保障演説は耳を疑うものだった。この期に及んでなお、メルケル氏は中国への幻想からさめず、中国の貪欲な覇権欲を支持し、世界の指導的地位に就こうという中国の野望を承知していると、あからさまに告白したのである。
メルケル氏はこの中で、「EUは今世紀の重要なプレーヤーの一員である中国との協力関係を積極的に構築することに戦略的な利益を有している」と宣言。その上で、「EUと中国の将来の関係は、単に通商の拡大や儀礼的な関係の維持管理にとどまってはならない。われわれ欧州人は、現在の国際構造の中で指導的な地位に就こうという中国の断固たる決意を認識しなければならない。否、認識するだけではなく、こうした挑戦を自覚的に受け入れなければならない」とまで踏み込んだ。
中国という独裁国家が世界に号令をかける未来を受け入れよ―。メルケル氏はほとんどそう言ったに等しい。これがEUを主導するメルケル氏の新たな外交ドクトリンだとすれば、わが国は「欧州も脱中国に動くのでは」といった安易な楽観論を戒める必要がある。
●中国政策で米欧間に溝
無論、EUには、中国における投資環境の改善や気候変動対策への合意形成など、困難な案件が山積しており、メルケル氏としては追従を並べ立てることによって、今後の交渉環境を不必要に悪化させない配慮が働いたことは間違いないだろう。だがその根底には、中国への「関与政策」は有効だという根拠なき思い込みがあることもまた否定できない。
このようなメルケル氏の媚中外交は、結局、「反トランプ」の裏返しである。トランプ米大統領が伝統的な欧州の同盟国を邪険に扱う中で、欧州におけるトランプ氏への反感は想像以上に強い。トランプ氏が対中圧力を強めるほど、ドイツのような欧州の強国が「中国カード」に磨きをかける作用が働くようになるということだ。(了)