公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

先崎彰容

【第810回】国民の心に響かない夫婦別姓論争

先崎彰容 / 2021.06.29 (火)


日本大学教授 先崎彰容

 

 昭和20年8月1日、日本民俗学の第一人者・柳田國男は友人から終戦が近いことを教えられた。齢70歳を超えていた柳田は決意を固める――「いよいよ働かねばならぬ世になりぬ」。こうして書き始められたのが『先祖の話』である。
 柳田の関心は、戦争で亡くなった死者の霊魂の行き先と、そして多くの若者が死ぬことによって「家」を守り固める存在がいなくなることへの危機対応であった。日本は戦前から東京を中心に都市化が進み、人口が都会に集中していた。地方に住んでいれば、住む場所はもちろん田畑をつくる場所も先祖の意思であり、住むことが家を繁栄させるための営みである。しかし都会に移住することは、先祖・子孫という考えを私たちから奪ってしまう。そして「家」の崩壊が決定的になったのが、敗戦なのであった。
 なぜなら、元気で働き盛りの若者が死者になってしまうからだ。本当であれば子孫を残し、高齢の父母を見送る側、家を主宰する要が死んでしまえば、「家」も、地域コミュニティーも、生活習慣も、祭りの担い手もいなくなる。「家」の過去を背負い、次の世代をつくる静かな営みが奪われていく様子を描きとり、戦死者の鎮魂について考えた作品、それが『先祖の話』なのである。

 ●左派の精神荒廃、保守派の現実軽視
 昨今、夫婦別姓の可否をめぐり、保守派と左派で議論が盛んだという。理由は簡単で、次の二つに尽きている。第一に、保守派が家族の共同性を重んじるのに対し、左派は夫婦を個人単位に解体し、個の権利を主張する。第二に、夫婦別姓という問題は、司法によって是非を決定されるべきでなく、立法府、すなわち国民の意見を背負った国会でなされるべきか否かという論点だ。
 その渦中で、例えばある左派の著作では、日本の墓について「日本のお墓はめったやたらと暗い。…お墓の中に、序列・競争心・権威がプンプンただようからだ」という記述があるという。全ての人間関係を、上下、競争、権威といった否定的、攻撃的な視点でしか見ることができない精神の荒廃を、この言葉は端的に示している。柳田國男が静かなまなざしで探求する日本の死者と霊魂のゆくえ、「家」の伝統を引き受けることの人生における意味になど、全く関心を示さない。
 一方で、夫婦別姓に声高に反対する保守派もまた、家族というものの実態が複雑な陰影を持ち、問題を抱え、離婚率が増加している現実を見ていない。常に家族共同体絶対主義に陥っているのである。

 ●必要な柳田國男の視点
 こうしていずれもが、国民の大半、今ここで生活を営み、政治運動におよそ関心を持たずに市井の暮らしに集中している人びとの心にまで響く言葉を持ち合わせていない。ここにこそ、筆者は現代日本の言論界の決定的問題を感じている者である。
 私たちは、柳田の言葉を参考に、もう一度、政治的闘争を離れて家族について静かに考える必要があるのではないか。(了)