公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

荒木信子

【第967回】未確認の拉致被害者を忘れるな

荒木信子 / 2022.09.20 (火)


国基研企画委員 荒木信子

 

 2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が平壌を訪問、北朝鮮の金正日総書記(当時)は拉致を認め謝罪した。だが、北朝鮮側は5人生存、8人死亡と一方的に告げた。これは虚偽を含んでいる。同年10月、蓮池薫さんら5人が24年ぶりに帰国を果たして以来、拉致被害者は誰一人として帰国できていない。
 小泉訪朝は画期的な出来事ではあったが、拉致問題の解決には至らず、むしろその問題の根深さを浮き彫りにした。
 その最たるものが、未確認の拉致被害者が相当数いる可能性が浮上したことである。5人の中に、拉致被害者だと誰も認識していなかった曽我ひとみさんが含まれていたことがきっかけである。曽我さんとお母さんのミヨシさんは単なる失踪だと考えられていた。

 ●連れ去りは北朝鮮の体質
 曽我さんの件が知られるようになって「うちの子が、夫が、兄が、妹が失踪している」という相談が相次いだ。当時、その情報の入力をたまたま私がすることになった。発生場所は全国、海外に、時期は戦後間もない頃から2000年代にまで及んだ。どのケースも既に知られていた拉致被害者の失踪経緯の不可解さと酷似していた。思い過ごしだとはとても思えなかった。
 拉致の空間的、時間的な広がりが明らかになったのである。特定の時期に突発的に起きたことではないだろう。こうしたことは拉致という行為を北朝鮮の本質と関係づけて考えると理解しやすくなる。
 日本統治時代、満鮮国境地帯に共匪(共産ゲリラ)が出没し、集落を襲撃して同胞である朝鮮人住民を拉致したり、牛馬などの財産を奪ったりした。こうしたことは戦後にも起きていて、南北の境界線となった北緯38度線付近での住民連れ去りや略奪、ソウルなどの街中からの拉致が当時の韓国紙で度々報じられている。朝鮮戦争中には約9万人を拉致して帰還させていない。日本人について言えば、終戦時に法曹関係者などを抑留し帰国させなかった。拉致やそれに準じる抑留は北朝鮮にとって特殊ではない。

 ●日本の無防備の表れ
 拉致は、北朝鮮によって国家的、組織的に行われた非人道行為であり、日本に対する主権侵害である。こんな危険な国がすぐ近くにありながら、戦後日本は充分な警戒や対策をしてこなかった。外国による国家的な不法行為に対処するには国家の力が必要である。国の守りの不備を思い知らされたのも拉致問題であった。
 以上のような事実が明らかになったにも拘わらず、この20年、日本が自分自身の問題を解けなかったのである。(了)