公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

田久保忠衛

【第139回】平和を求めるための改憲

田久保忠衛 / 2012.05.01 (火)


国基研副理事長 田久保忠衛

サンフランシスコ講和条約発効60周年を迎えて憲法論議が盛んになろうとしている。日本人一人ひとりが答えなければならないのは、占領中に抵抗の手段も全くないまま強制された憲法を独立回復後60年も経つのに一向に変えようとしない理由は何か、という疑問である。「押しつけ憲法だ」といまだに米国を批判する向きもあるが、独立して60年間手を付けずに憲法を放っておいたのは日本人だ。米国人はいまさら責任を問われても困るだろう。
 
日本の伝統は皇室中心
英語で「国」の言い方はcountry、state、nationの3通りある。countryは「わが祖国」、stateは「政府」、nationは「国民共同体」的な色合いが強いと思う。日本国憲法はstateを対象にしていて、nationは度外視されている。世界に冠たるなどと威張ることはないが、国民共同体的な日本国家は独特の歴史、文化、伝統を持っている。その中心は皇室だ。隋や唐の覇王と全く異なり、日本の天皇は国民のための祭祀を行う祭祀王(プリースト・キング)であったことを日本人は改めて認識しなければならない。欧州の征服王でもない。

戦闘的自由主義者としてマルクス主義と狂信的軍部の行き過ぎを批判した河合栄治郎は、昭和15年に書いた『学生に与う』の中で、「天皇は元首であらせられるのみならず、国民の自然に流露する感情の中枢に在らせられ、而も臣民の感情は高められて崇敬の感情となる。君臣のかくの如き関係、之を国体の精華という」と述べた。先の大戦で日本政府が固執したのは「国体の護持」だったことを思い返したらいい。長い歴史を持つ国の成り立ちこそは日本のアイデンティティーではないだろうか。
 
他国頼みで安全は保てぬ
和を尊び、平和を愛してきた日本は戦後に国家として機能してきたか。領土、領海を侵され、日本人を拉致されながらなす術もなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)と信じていいのかどうか。いわゆる護憲派は正直に回答してほしい。日本に日本らしさを取り戻し、そこに土足で侵入してくる国を断固拒否するために憲法を改めなければならぬとの気持ちにどうしてなれないのか。

狭い島国の中で「保守」とか「リベラル」とか、タカ派、ハト派で争っていては、生存できない事態が訪れている。平和を求めるための改憲の動きは始まると思う。(了)

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第139回:平和を求めるための改憲(田久保忠衛)