国基研企画委員 西岡力
異例の厚遇だった国葬
8月18日金大中元大統領が亡くなった。翌19日夜、韓国李明博政府は、23日までの6日間を服喪期間とする国葬を実施することを決めた。北朝鮮は、党宣伝担当書記・金己南、党統一戦線部長・金養健らを弔問団としてソウルに送った。弔問団の派遣通知から日程調整まで、北朝鮮は韓国政府でなく民間機関の金大中平和センターを窓口とした。
ジャーナリストの趙甲済氏や保守運動体「国民運動本部」など韓国の良識的保守派は「国葬ボイコット運動」を呼びかけた。
なぜ、韓国保守派が金大中国葬に反対したのか。慣例を破る厚遇だったからだ。これまで国葬は現職で亡くなった朴正熙元大統領だけであり、他の大統領経験者は盧武鉉、崔圭夏は国民葬、李承晩、尹潽善は家族葬だった。
「金大中の対北政策は国家反逆行為」
より本質的には、金大中が大統領時代に展開した対北政策がある。2000年6月の南北首脳会談は、4億5千万ドルを不法に送金して実現したものであり、当時の国情院長らが有罪判決を受けた。
これが核開発に使われた可能性は高い。金大中も逮捕されるべきだったが盧武鉉政権が妨害した。
首脳会談で合意した「6・15」宣言は、主体思想による統一を目指す北朝鮮の連邦制を容認し、韓国憲法に明記された自由民主統一方針を否定するものだった。保守派はこれらを国家反逆と位置づけ、国葬決定で李明博政権が金大中の責任追及を放棄したと批判する。
日本人拉致実行犯辛光洙を北朝鮮に送還
金大中は1973年東京から拉致された。あのとき彼は日本国内の北朝鮮につながる勢力と手を組み亡命政権的組織を作ろうとしていた。放置しておけば親北政治家として烙印を押され、反共意識がまだ強かった当時の韓国で政治家としての生命を失っただろう。韓国情報機関の焦りが結果として金大中を助けた。
金大中は北朝鮮による拉致問題に冷酷だった。2000年の首脳会談で韓国人拉致被害者の送還は求めず一方的に北朝鮮テロ犯・スパイらの送還を約束した。その中に、日本人拉致実行犯の辛光洙も含まれていた。家族会・救う会は、金大中宛に辛光洙送還中止を求める要請文を出した。1985年辛光洙が逮捕されたとき、北朝鮮の公式メディアが「事件は韓国のでっち上げで辛光洙は北朝鮮人ではない」と主張していた。要請文ではそのことを指摘し、北朝鮮でなく日本に送還せよと求めたが無視された。(了)
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第1回:金大中元大統領死去-韓国保守派が国葬ボイコット運動(西岡力)