石破茂新首相が自民党総裁選で高々と掲げた「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」構想は、首相就任3日にして消えていた。10月4日の所信表明演説で、自らの政治信条をあっさり封印してしまったからだ。同盟国やパートナー国からの拒否反応に怯んだためか、あるいは解散・総選挙を控えて刺激的な表現を避けたかったのか。どちらにしても、石破氏は軍事オタクではあっても、優れた国家戦略を描く政治指導者ではないことが露呈した。
●幻のアジア版NATO構想
石破氏は9月27日の自民党総裁就任後初の記者会見で、持論である「アジア版NATOの創設」を強調していた。総裁に決まる直前に米ハドソン研究所に提出した論稿でも、「今日のウクライナは明日のアジア」であり、「中国を抑止するためには、アジア版NATOの創設が不可欠である」として、対中抑止の切り札であることを力説していた。
同盟の本質は、互いを守るための血の契りである。利益と価値観を共有する国家が、軍事を中心として相互援助する条約だ。ところが石破氏の構想は、軍事同盟の本質を意図的に外しているように思えてならない。NATOが持つ抑止力の核心は、条約の第5条「武力攻撃に対する共同防衛」にある。「一または二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなす」ことにより集団的自衛権の行使を規定している。ところが、石破氏の構想には第5条の趣旨への言及はない。
これに対し、米国のクリテンブリンク国務次官補(東アジア・太平洋担当)は「アジア版NATO構想は少し性急すぎる」と一蹴している。何よりインド太平洋諸国には、対中抑止の関与の仕方に温度差がある。日米豪印4カ国の安全保障枠組み「クアッド」の一員であるインドのジャイシャンカル外相も、「そのような戦略的枠組みは考えていない」と石破構想を突き放す。
●前提は憲法改正
近年、日本は米ソ冷戦期よりも厳しい国際環境の中にあり、安倍晋三政権は集団的自衛権の一部行使を可能にするよう憲法解釈を改め、日米同盟の双務性を高めた。岸田文雄政権では防衛費の国内総生産(GDP)比2%への引き上げを決定し、反撃能力を確保した。石破新政権が、それらの上にアジア版NATOを構築するためには、まず現行の日米安保条約を、共同防衛を可能にする日米相互防衛条約へと改定することが第一歩だ。そのためには政治的決意と膨大な時間と巧みな根回しが必要になる。
この日米相互防衛条約が実現すれば石破氏のいう対米依存からの脱却が可能になり、日本は「対等な国家」として日米同盟を米英同盟並みに強化することになる。ただし、安保改定のための前提条件は憲法改正にある。石破氏は所信表明演説で、付け足しのように憲法改正に触れ、与野党で「建設的な議論を行い、国民的な議論を積極的に深めていただく」と希望を述べるだけだった。そこには、憲法改正に政治生命を賭けようとする意思も、本気でアジア版NATOを構築しようとする政治指導者の姿も見えなかった。(了)