東日本大震災の被災地沿岸に巨大な防潮堤を建設する計画には、地域住民の1人として違和感を覚える。防潮堤は住民に多少の安心を与えるかもしれないが、沿岸の景観を壊し、海の眺望という心の財産を奪う。
●巨大津波を防げないコンクリートの壁
計画では、東北地方の太平洋岸のほぼ全域にわたって、最大で高さ15メートル近いコンクリートの壁が覆い尽くす。しかし、この防潮堤で防げるのは、数十年から百数十年に1度という比較的高い頻度で発生する一定程度の津波だけだ。1000年に1度といわれる東日本大震災の時のような最大級の津波を想定して防潮堤を建設するのが現実的でないことは国も分かっている。
だが、いったん防潮堤ができると、住民が安全を過信してしまう恐れがある。東日本大震災では、岩手県宮古市田老地区(旧田老町)で「万里の長城」と呼ばれた巨大な防潮堤が津波により破壊され、死者・行方不明者229人を出したのは記憶に新しい。防潮堤で安全と安心を得たはずの住民が、そのために油断してしまったことは否めないと思う。
むしろ大切なのは、防潮堤を造って見せかけの安全と安心を与えることより、常に災害と向き合う心を持ち、災害を子供たちに語り継ぐことではないか。
大震災で津波の被害を受けた人は、津波の新たな襲来に計り知れない恐怖を感じていると思う。そうした人が安全と安心を望むのは当然のことだ。しかし、自然の脅威に百パーセント抵抗するのは不可能だ。防潮堤を造っても、確実に生命・財産を守ることはできない。
●次世代に残すべき財産
そもそも、全ての被災者が防潮堤の建設を望んでいるわけではない。景観を壊すことは地域住民の意思ではないと思う。防潮堤が必要な場所に、必要な人々が合意の上で造っていくことが大切だ。
私は津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所の事故で緊急時避難準備区域に指定された福島県双葉郡広野町に住んでいる。太平洋から昇る朝日がオレンジ色に輝く情景は私の心を無にし、思わず両手を合わさずにはいられない。津波の被害に直接遭った知人も、最初は防潮堤が必要だと思ったが、月日が過ぎて、今は朝日を毎日拝めることに生きる喜びを感じると言っている。
私たちは自然と共存して生きてきた。海の見える景観は将来の世代に残す大切な財産であると考える。「美しい国日本」を末永く大切にしたい。(了)