公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

木村汎

【第544回】プーチン氏は本当に法学士なのか

木村汎 / 2018.09.18 (火)


北海道大学名誉教授 木村ひろし

 

 「一切の前提条件を付けずに年内に平和条約を結ぼう」。ロシアのプーチン大統領は、ウラジオストク開催の「東方経済フォーラム」で、安倍晋三首相にこう提案した。この発言は、次の疑問を強める。本人が自慢するように、果たしてプーチン氏をレニングラード(現サンクトペテルブルク)国立大学の法学部出身者とみなしてよいのか。

 ●一知半解
 プーチン氏自身は、常日頃、機会あるたび毎に己が法律文書に通暁した法学士であると自慢する。例えば、ロシア大統領に就いた2000年の初公式訪日時の共同記者会見がそうだった。「『2000年までの平和条約締結』という(エリツィン元大統領と橋本竜太郎元首相の)クラスノヤルスク合意は、あなたの大統領就任でどうなるのか」と尋ねられた時、こう述べた。
 「私は大学で法律の教育を受けているので、文章を調べることに慣れている。2000年までに平和条約に調印するとは書いていない。最大限の努力をするという言葉だけだ」
 もう一例。プーチン大統領は、1956年の「日ソ共同宣言」のみを日ソおよび日ロ間の最高の法律文書と見なして、それ以外の文書、例えば1993年の「東京宣言」を軽視する態度を露骨に示す。前者は日ソ両国の最高議決機関によって批准されているのに対して、後者は批准されていない。これが、法学士プーチン氏が主張する根拠である。
 ところが、これは一知半解の見方である。グローバル化の時代の到来に伴い、諸国家間で結ばれる国際的な協定や条約の数が爆発的に増加しつつある。結果として、条約締結手続きの簡素化、迅速化の要請が生まれ、もはや批准の有無は重要とされていない。これが今日の国際法の常識なのだ。

 ●法の抜け穴くぐりに専念?
 プーチン氏がもし法学士ならば、次のことを当然承知しているだろう。日ソ両国が1956年に結んだ合意が単なる「共同宣言」にとどまり、「平和条約」になり得なかった最大かつ唯一の理由は国境線の画定に到らなかったためだ。
 そのような経緯や事情を百も承知の上で、尚かつ領土問題を棚上げして平和条約の締結を迫る。もしプーチン大統領が冗談でなく真剣にそう提案しているのならば、彼は単に法律に無知なのではなく、平和条約で国境線を画定するという国際法の常識を無視することすらもくろんでいる。これは、彼が大学時代に法律の授業に真面目に出席せず、法の抜け穴をかいくぐるKGB(ソ連国家保安委員会)の活動に専念していたことを意味しないか。(了)