公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

【第32回】「親子別姓」反対運動を提唱する

h0330 / 2010.04.05 (月)


衆議院議員 松浪健太

「選択的夫婦別姓反対」というスローガンを掲げたとき、その反対運動は半ば以上、敗北している。法務省をはじめとする推進派が、わざわざ「選択的」という言葉を夫婦別姓に冠する意図は何か。「選択的」と聞く度に、人々の深層心理には「選べるんだから、個人の自由ではないか」というささやきが届き、それ以上深く考えることを阻害する。反対派までが「選択的」という言葉を使うことは、相手の土俵で相撲を取らされている、ということを認識すべきである。

大切な子供の視点
反対運動で大事なのは、人々に想像力を働かせてもらうことである。その有効な手段として、私は「親子別姓」という言葉を使用することを提案する。

夫婦の姓が同じであろうとなかろうと、それは大人の問題である。しかし子供の視点から見れば、それは親子別姓問題となる。「親子別姓」という耳慣れない言葉を聞くとき、誰もが違和感を抱き、夫婦別姓の弊害について少しは想像力を働かせようとするだろう。その想像力こそが、反対運動の原点なのである。

夫婦別姓は、確実に家族の一体感を損なう。海外の例を見るまでもなく、離婚は増加する。さらに、千葉景子法相が提唱しているように非嫡出子と嫡出子の権利を同じにすれば、結婚制度自体が形骸化され、離婚のハードルもますます低くなる。それは生まれてくる子供にとって、幸せだろうか。

子供から次のように問われた場合、どう答えるべきだろうか。

「うちのクラスの渡辺君のとこはね、お母さんは工藤だから夫婦別姓だと思っていたら、結婚していないんだって。別に結婚してもしなくても同じだからわざわざ結婚するの面倒だからって。ねえお母さん、結婚って意味あるの?」

暮らしへの影響に思いを致せ
結婚という制度は、夫婦が責任感を持って子供を育て上げようという意識が働くように設計され、子供が安定した環境で育つことに寄与してきた。しかし夫婦別姓が導く過度の個人主義は子供に対する責任感を失わせ、子供に家族や結婚の意味を教えることを困難にする。

親子別姓について考えるようになれば、様々な暮らしへの影響を連想するだろう。先祖代々の墓のまつり方から、年賀状の宛名の書き方まで、影響が及ぶ。

政府は「選択的」という言葉を恣意的に使用することで国民の違和感を巧みに中和し、その上で意識調査を行って夫婦別姓導入の根拠にしようとしている。今こそ「親子別姓」をキーワードとして、自らの暮らしと結びつけて考える契機とし、まっとうな世論形成を目指すべきである。(了)

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第32回:「親子別姓」反対運動を提唱する(松浪健太)