東京、大阪等、諸都市の新型コロナウイルス感染拡大に直面して、4月7日、安倍晋三首相が戦後初めての緊急事態宣言を発出した。日本国の在り方が試される究極の局面だ。
欧米メディアがわが国の緊急事態宣言に効力がないと批判したのは、同宣言は政府にも自治体の長にも命令権をほとんど与えない内容だからだ。例外は臨時の病院施設を作る場合、土地所有者に要請の上、強制使用できる点である。これさえも「私権の制限」だとしてリベラル勢力が盛んに批判した。法的強制力に欠ける外出自粛及び休業の要請や指示の実効性が疑われるのは当然である。
●日本人の真価、今こそ発揮を
国民個々人の自由と権利が最大限強調される一方で、政府の命令権がなきに等しいのは日本の敗戦で書き変えられた戦後憲法に由来する。戦後憲法は国家なき憲法である。国家は否定すべきもの、国民が監視し縛っておかなければ権力は恣意的乱用に走るという思想で貫かれている。だから憲法は日本国に「戦力の保持」も「交戦権」も認めていない。
「国家論なき憲法学」を確立した東京帝国大学法学部教授、宮澤俊義氏及びその門下生たる日本の憲法学者らは、「たとえ国家や国民のためでも、人権を制約できない」と主張する。朝日新聞をはじめとするリベラルメディアは繰り返し「安倍首相の強権」を非難し、緊急事態宣言や私権制限を牽制した。
こうした中での緊急事態宣言発出だった。
国家の力が弱く首相にさえも権限がない中で、如何にして国民の一致協力を得てウイルス禍を克服するか。国の建てつけとして権力・命令構造が欠落する分、政治家も国民も他国のそれよりもはるかに賢く、自律の心がなければ、危機は乗り越えられない。だからこそ、日本人の真価を発揮する時だ。
●現憲法の限界露呈
振りかえってみよう。戦後、たしかに日本は日米安全保障条約によって守られてきた。一方で、国民各自は善き価値観に基づいて暮らし、他者への思いやりと利他の心で社会の穏やかさと安全を保ってきた。
リベラル勢力が利他よりも利己を、責任と義務よりも自由と権利を強調し跋扈してきたにも拘わらず、日本国民は賢く誠実に生きてきた。3.11、阪神淡路大震災、いずれの時も私たちは助け合って切り抜けた。
今回も、私たちは必ずウイルスとの戦いに勝てる。強制力なき政府の要請にも多くの人々が応じている。それが自らの命だけでなく他者の命を守る貴い行動だと分かっているからだ。
巧まずして明らかになったコロナウイルス禍を契機に、多くの人々が現行法及び憲法の限界に疑問を抱き始めた。わが国の形を、憲法改正を実現して真っ当な民主主義国のそれに戻す日も近いと、私は考えている。(了)