14日、東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議を終えた記者会見での菅義偉首相の発言が波紋を呼んでいる。これまでの「自由で開かれたインド太平洋」と言わずに、「平和で繁栄したインド太平洋」と言い換えたのだ。
●価値観外交のキーワード
「平和と繁栄」に反対する者はいないだろう。問題はそれをどうやって達成するかだ。軍事力を背景とした強権的、独裁的な手法による身勝手な「平和と繁栄」もあり得るのだ。
そうした中国の外交姿勢を念頭に、「自由と開放性」によって阻止しようという政治的意思を込める。それが2016年に安倍晋三前首相が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」だ。自由、民主主義という価値観の旗を掲げて、志を共にする諸国との連携を主導する。かつての日本外交には見られなかった「価値観外交」であると評価できる。
ところがこれを「平和と繁栄」にすり替えると、肝心の価値観を放棄して、単なる地理的概念の「インド太平洋」にとどめた印象を与える。「自由で開かれた」とのキーワードこそ命で、これがなければ「仏から魂を抜いた」も同然だ。中国はこうした価値観を受け入れられず、断固反対していたが、これでは中国が喜ぶだけではないか。
早速、国内から批判が相次いだ。意図せざる結果に慌てた政府は、官房長官が会見で、外相が国会で、それぞれ「自由で開かれたインド太平洋」を推進する方針に変わりがないと釈明に追われた。そして17日のモリソン豪首相との首脳会談の共同声明では「自由で開かれた」を使う本来の姿に戻している。
しかし国内で釈明しても、問題は国際的な受け止め方だ。日本では米国がバイデン政権になって対中融和にならないか注目されているが、逆に米国でも菅内閣になった日本に対してそうした疑念の目で見る向きもあることを忘れてはならない。しかも米国抜きの地域包括的経済連携協定(RCEP)に署名した直後の発言だけにタイミングが悪かった。
●問われる首相の戦略思考
どうしてこのような失態を招いたのだろうか。中国を刺激したくないASEANへの配慮のつもりだろうか。あるいはバイデン次期大統領がこれまで「自由で開かれた」との用語を使用していないことが影響しているのだろうか。
米政権移行チームの外交ブレーンの中には、トランプ政権の手あかのついた呼称をそのまま使うことに抵抗感があるのは事実だ。そこでバイデン政権としての方針が決定していない現時点では、慎重な言い回しになっているのだろう。にもかかわらず日本自身がこのキーワードを使わなくなると、中国への配慮から後退したと受け取られかねない。
こうした戦略的意味合いを理解せず、誤解を招く不用意な発言メモを作成した事務方に責任があるのは当然だ。しかしもっと重要なのは、菅首相自身がどこまで本質を踏まえて「軸のある外交」をするか、である。(了)