故石原慎太郎氏に関する英語メディアの追悼記事の多くは、石原氏を説明するのに「超国家主義者」という決まり文句を使った。
例えば、日本に拠点を置く作家ロバート・ホワイティングは、1990年に石原氏とインタビューをした時のエピソードをアジア・タイムズに寄稿し、その中で石原氏が海外で「超国家主義者」として知られていた、と書いた。
マシュー・ハーノンも情報誌トウキョウ・ウイークエンダーで、石原氏を「超国家主義者」と蔑んだ。
同様に米国人ジャーナリスト、ジェーク・エーデルスタインはアジア・タイムズの記事で、石原氏が「憎悪を広めた政治家」だったと書き、石原氏が尖閣諸島を中国から守ろうとして東京都による購入を計画したことを「大失敗」だったと決め付けた。エーデルスタインも石原氏を「超国家主義者」と見ていたのだ。
●不当な英語メディアの決め付け
元東京都知事でベストセラー作家の石原氏を「超国家主義者」と呼ぶのは正しいのだろうか。
まず、誰がこの用語で石原氏を攻撃しているのかを考えてみよう。ロバート・ホワイティングは1962年に米空軍の一員として日本にやって来た。米国は戦争で日本を占領し、「アメリカ帝国」がアジア太平洋で戦域を構築・維持するための前進基地として日本を使っていた。ホワイティングは祖国の「超国家主義」(そう呼ぶのが公平ではないか)のおかげで、日本でキャリアを積むことができた。なぜホワイティングが、「超国家主義者」とは石原氏のことだと考えているのか分からない。
エーデルスタインが提起した尖閣諸島の問題も考えてみよう。石原氏は、中国による日本の領土主権の度重なる重大な侵害があったので、尖閣諸島を守ろうとした。石原氏も日本国も、尖閣の侵略者ではない。侵略を行ったのはひとえに中国である。帝国主義的な共産主義超大国の侵略に対抗することが「超国家主義」になるのだろうか。
もう一点。ホワイティングは石原氏の共著「『NO』と言える日本」を取り上げている。仮に日米の立場が逆転し、日本が米国を何十年も軍事占領してきたとしよう。ホワイティングは占領軍に「イエス」と言うだろうか。ホワイティングが占領軍にときどき「ノー」と言ったら、石原氏はホワイティングの追悼記事でホワイティングを「超国家主義者」と呼ぶだろうか。
●「愛国者」が正しい
石原氏をホワイティングやエーデルスタインよりもよく知る人々は、石原氏についてもっと肯定的な見方をしている。例えば国基研の櫻井よしこ理事長は、石原氏を鋭敏で、機知に富んだ、ひたむきな愛国者と褒めている。
日本国民の安全を守り、祖国の名誉を回復することに情熱を燃やした石原慎太郎氏を説明するのに最も良い言葉は「愛国者」なのだ。「超国家主義者」という形容は、石原氏本人をさらけ出すよりも、石原氏を中傷する者の偏見をさらけ出したのである。(了)