石破茂首相は9月23日の国連演説で「安保理改革の実現」と「核兵器なき世界」の実現を訴えた。両方とも、言うは安いが実現の可能性はゼロに等しい。
安保理改革をどうやって行うのか。ウクライナを侵略したロシアは安保理5常任理事国の一つであり、そのロシアを安保理から排除することは、まず不可能であろう。日本が願う常任理事国入りも、中露の反対で実現し得ない。
「核兵器なき世界」は、もっと難しい。核保有国は増加の一途を辿り、中国や北朝鮮は核兵器を増大させており、それを既成事実として我が国の安全保障政策を具現化していくのが国家指導者としての責務ではないのか。
●国連は戦勝国クラブ
石破首相は「国際連合が(第2次世界大戦の)戦勝国を中心に創設された」と語った。確かに、日本やドイツといった敗戦国に関しては、国連憲章の第53条および第107条と第77条の一部に「敵国」条項が残っており、未だに削除されていない。
戦勝国は善、敗戦国は悪という前提で戦後の秩序は築かれており、その典型が東京裁判である。東京裁判で戦犯のレッテルを貼られた日本の元指導者を靖国神社に合祀していることから、周辺諸国とりわけ中国や韓国から非難を受けている。また先の大戦の日本国内における呼称も、米国の押し付けである「太平洋戦争」を今も公共放送で使用し、戦前に日本政府が決定した「大東亜戦争」と呼ぶことが憚られている。
東京裁判が茶番劇であったことは、善であるはずの戦勝国で構成された安保理常任理事国が国連成立後間もなく互いを侵略者呼ばわりして、今日に至るまで安保理が機能不全に陥っていることから立証できる。
日本の国家指導者は、石破首相のように実現不可能なことを主張するより、国連が戦勝国中心に構成されている矛盾を指摘し、戦勝国イコール善という前提で成り立っている東京裁判史観の矛盾を指摘して、自虐史観を克服する方向に進むべきだ。
●国家の役割は増大
筆者が学生時代の昭和40年代には、主として英歴史学者のアーノルド・J・トインビーが主張していた「近代的な発明により世界が一つになりつつあることから、もはや国家主義にふけっているわけにいかない」という思想が一世を風靡(ふうび)し、日本でも、歴史の過程においてやがて国家は消滅してしまうかのような主張をする学者が多かった。しかし、コロナ危機への対応にしても全て国が単位であったし、昨今の移民問題やトランプ関税にしても国が主体だ。また世界的言語であるエスペラント語が一向に普及しないことからも、国家の大切さ、その根源的な文化・伝統の重要性について再認識すべきである。世界国家的発想の国際連盟や国際連合への幻想から目覚めるべきであろう。(了)




