5月3日は、日本国憲法が施行されてから70年目に入る。69年間、一度も憲法が改正されていないのは、わが国だけである。異様と言わざるをえない。
国内および国際社会が大きく変化したにもかかわらず、憲法だけが止まったままである。なぜこのような事態になっているのか。畢竟するに、改憲勢力が憲法改正に必要な総議員の3分の2以上の多数を衆参両院で獲得できなかったからである。安倍晋三首相は、夏の参議院選挙で憲法改正を公約の一つに掲げ、国民の審判を仰ぐ意向を表明している。衆議院ではすでに3分の2以上の議席を得ており、参議院選挙が天王山と言える。
●法律で対処できない緊急事態
憲法改正論議で俎上に上ってきているのが、国家緊急事態条項の導入の是非である。反対論の立場からは、法律で対応できるとか、国家権力を縛るという立憲主義に反するといった主張がなされている。いずれも、論拠がきわめて薄弱である。
法律で対処可能の根拠として、災害対策基本法などが挙げられるが、本来、国家緊急事態というのは、法律で定められていないような、まさに異常で、かつ緊急の措置を必要とする事態が発生する場合を包含する。
また、立憲主義は、国家権力そのものを縛るのではなく、国家権力の恣意的行使を縛ることにその本質がある。立憲主義がはき違えられて論じられている傾向がみられる。私は、このような立憲主義理論をポピュリズム憲法論と命名しているが、その意味については、5月2日付の産経新聞「正論」欄をご覧いただきたい。
●世界の常識
近年、東日本大震災時における民主党・菅直人首相の対応のまずさもあって、もっぱら大規模震災を国家緊急事態の対象と見る向きがあるが、もともと国家緊急事態は、外部からの武力攻撃、外部勢力の教唆による内乱、あるいは組織的なテロ攻撃など、憲法秩序が侵されるような事態が主対象とされる。
国家の最大の役割は、国の存立と国民の生命、自由および財産の保全にある。憲法も同じ役割を担う。憲法で何らかの規定をしなければ、無秩序を生み出す可能性がある。
1966年の国際人権規約(自由権規約)第4条は、「国民の生存を脅かす公の緊急事態」の場合には、加盟各国が、「事態の緊急性が真に必要とされる限度で」、一時的に人権を制約してでも、緊急事態を宣言することを容認している。今日、自国の憲法に国家緊急事態条項を設けていない国はほとんどない。国家緊急事態条項の導入は、「世界の憲法常識」と言えるのだ。(了)