佐渡の金山が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。韓国も賛成した。
登録決定直前まで日韓両国は水面下で折衝を進めていた。日本政府は当時の国際法に違反するような「強制労働」はなかったという立場を固守し、韓国側は「強制労働被害の現場」だったことを展示せよと迫った。その結果、①登録決定直後に現地の相川郷土博物館で「朝鮮半島出身者を含む鉱山労働者の暮らし」に関する3枚の説明パネルと1次史料の展示を行う②全ての労働者のための追悼行事を毎年民間主催で行い、国、県、市関係者も参列する③登録時の日本政府ステートメントで「朝鮮人労働者を誠実に記憶にとどめる」と言及する―こととなった。
●一部パネルは説明不足
3枚の説明パネルは、写真入りで一次史料に基づく記述をしている。同じ内容の英文のパネルが3枚、それ以外に当時佐渡鉱業所が作った文書2点の写真が22枚の史料パネルとして展示されている。そのどこにも「強制労働」という言葉はない。
この間、私は佐渡金山では朝鮮人の強制労働はなかったという見解を主張してきた。その立場からこの展示を評価すると、誤解を与えやすい表現が外交上の配慮で一部入ったものの、ぎりぎり事実を曲げてはいない。
説明パネルでは、「佐渡鉱山で働いた朝鮮半島出身労働者は、削岩、支柱、運搬などの危険な坑内作業に従事した者の割合が高かったことを示す記録が残されている」として、1943年5月末の数字が表で示されている。当時、徴兵により日本の内地で若い男性の労働力が不足したので、1944年4月まで徴兵をかけていなかった朝鮮半島から労働動員を実施した、という背景説明があれば、朝鮮人を差別したという誤解を払拭できただろう。
「労働条件については、朝鮮半島出身者について、ある1か月の平均稼働日数は 28日であったとの記録がある」という記述もある。この数字は佐渡鉱業所が作った「半島人労務者に関する調査報告」の72ページにある「平均一ヶ月の実収入(七月分)」という項から平均稼働日数を抜いたものだ。出来高制賃金だったので稼働日数が増えれば賃金は上がるという背景まで説明すると、より理解が深まったはずだ。そして、この項のすぐ前の項「賃金の決め方」の「内地人労務者同様年齢経歴等を考慮し、業務の種類及難易に依り、豫め決定せる請負単価に依り其稼高に應じ支給す」という記述も一緒に紹介すれば、実態をより正しく理解できたはずだ。
●官民協力で歴史事実の広報を
「半島人労務者に関する調査報告」はその部分を含む全文が写真パネルで展示されている。1次史料の記述を紹介し、解釈は見る人に任せるという姿勢が展示には貫かれている。その点で土俵の俵を踏み越えてはいない。今後は、官民が協力して、佐渡金山を含む全ての朝鮮人戦時動員では強制連行、強制労働はなかったという歴史的事実の広報に力を尽くすべきだ。(了)