東日本大震災から丸二年が過ぎた。あのとき私たちは、日本人は自己の利益よりも他者への思い遣りを優先し、究極の困難の中で助け合う、礼儀正しく忍耐強く、真の勇気を持つ人々であると、国際社会から高い評価を受けた。いま私たちは、その賞讃に値する国民であるのかが厳しく問われている。
●放射能への過度の恐れ
岩手、宮城、福島3県の復旧・復興は遅々として進んでいない。主因の一つが、3県平均で全体の3分の1にとどまる瓦礫処理の遅れである。全国約1800の自治体の内、瓦礫を引き受けたのはわずか75にとどまる。
非協力の主たる理由が根拠のない放射能への恐れで、それは瓦礫処理のみならず、3県とりわけ福島県産農産物の風評被害となって復興を妨げている。
国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、緊急事態から回復に向かう状況下での放射線許容量は、年間20~1㍉シーベルト(SV)だ。にも拘わらず、福島では、恰も1㍉SVが安全基準値であるかのように受け止められている。塩分の摂りすぎ、野菜不足、受動喫煙がなんと100~200㍉SVに相当する害であることを考えれば、1㍉SVに拘るのは愚かであり、1㍉SVの壁ゆえに古里への帰還が進まず、古里再建もままならない悪循環こそ断ち切らなければならない。
人々が戻らないもう一つの理由が避難生活を支える援助である。被災者支援が重要なのは言うまでもない。しかし、働いて得られるよりはるかに多額の援助が避難生活者に配られ続ける結果、あらゆる意味でよき働き者だった東北の人々が、怠惰へと流れつつあるのが現実である。彼らを忍耐強さと自主独立の精神から引き剥し、他力依存へと誘導したのが政府の安易な迎合策だ。
●失政を象徴する巨大防潮堤
政府の施策は復興に関しておよそ全ての面で間違っていたが、そのことを象徴するかのように、いま東北の形が根底から変わりつつある。美しい海の恵みに祝福されてきた3県各地に、高さ数メートルから十数メートルの巨大なコンクリートの防潮堤が築かれつつある。1000年に一度の巨大地震と巨大津波から地域を守るためだそうだ。
よしんば無機質な髙壁が幾ばくかの安心感を与えるとしても、人々は朝な夕なに眺め暮らした海から断絶され、東北の地で育まれた感性、風土、文化の多くが失われていくだろう。
自然との関係で絶対的に安心なものなど存在しない。古来、日本人はそのことを知っており、自然を畏怖しつつその中に抱かれて生きてきた。いま目につくのは、畏怖を超えた無闇なる恐れである。政府はこうした状況でこそ、恐れすぎることや愚かな思い込みが敗北を導くことを国民に語り、理性と科学を反映した新しい再建策を示し、人々の心に困難に立ち向かう勇気を呼び起こさなければならない。(了)