北朝鮮拉致問題の「再調査」をめぐっては、日本外交の失態として想起すべき前例がある。福田康夫政権下の2008年 6月13日、北京での日朝協議を終えた斎木昭隆外務省アジア大洋州局長(現事務次官)は、家族会はじめ関係者に対し、北朝鮮が再調査を約束した見返りに、日本側は①人的往来②航空機チャーター便の運航③「人道支援物資」用船舶の入港―の3分野にわたり制裁を解除したと報告した。あまりにバランスを失した「口約束対行動」であった。
この日朝合意は、北朝鮮にもう一つの勝利をもたらす。同月26日、米ブッシュ政権は北朝鮮のテロ支援国家指定解除に向けた手続きの開始を発表した。日朝関係「改善」が、ライス国務長官、ヒル国務次官補ら政権内宥和派の追い風となったのは間違いない。日本は国際情報戦のダシにも使われたのである。
興味深いことに、国内世論の批判を受けて再交渉を求めた日本政府に対し、北は船舶入港の白紙化を受け入れた(同年8月12日修正合意)。外務省がぎりぎりの妥協と称した6月合意は、日本の譲り過ぎだったのである。この前例から、日朝協議の現状をどう見るべきか。
●不必要な譲歩はするな
折しも国連では、北朝鮮による人権蹂躙を国際刑事裁判所に付託するとともに、「人権侵害の最高責任者を特定する」決議案が審議入りし、10月28日にはダルスマン特別報告者が総会で趣旨説明を行った。今回の日本政府代表団の平壌入りはその前日に当たる。協議会場の入り口に光る「特別調査委員会」の銘板には、ご丁寧にも英語表記まで添えられていた。「歴史的に多くの恨みを抱えた日本との間でも、わが国は人権問題に真摯に取り組んでいる」との国際宣伝に北の主眼があったのは明らかだ。
会談冒頭、調査委員長で国家安全保衛部副部長と称するソ・デハなる人物(保衛部の副部長に肩章の「星一つ」はあり得ないから、恐らくダミーだろう)に、日本側団長の伊原純一外務省アジア大洋州局長が「お会いできて嬉しい」と挨拶した場面にも驚いた。
保衛部は、ナチスでいえばSS(親衛隊)やゲシュタポ(秘密国家警察)に当たる弾圧機関で、拷問や処刑を日常業務とする。在朝日本人にも犠牲者は少なくないはずだ。その幹部と政府代表団長が友好の挨拶を交わせば、日本は北朝鮮体制を最暗部まで含めて認めたことになる。安倍首相が掲げる価値観外交とは、全く相いれない動きだろう。
●「行動対行動」の正道に戻れ
代表団を送らねば交渉が切れると主張する「専門家」もいたが、秘密取引を何より好む北がそう発信してきたとすれば、そこにまず謀略の匂いを嗅ぎ取らねばならない。国際宣伝の具にされ、譲歩を重ねる外務省主導の交渉ではなく、解除した制裁の再発動、さらには追加制裁(送金禁止、北朝鮮に寄港した第三国船の日本入港禁止、朝鮮総連に関わる再入国不許可範囲の拡大、法執行の強化など)を武器に、「行動対行動」の正道を行くべきだろう。(了)