1月17日、安倍晋三首相がエジプトを訪れ、シシ大統領と首脳会談を行った。「世界で起きている過激主義の流れを止めねばならない」と述べた首相に対し、大統領も「治安、安全保障に関わる問題であり、しっかり対応していきたい」と応じた。日本側は、国境管理強化やインフラ整備などを中心に経済支援を約束している。よいタイミングだったと思う。
●エジプト大統領の反過激派演説
イスラム過激派のテロが活発化する中、シシ大統領は1月1日、「世界最古の大学」アル・アズハル大学で聖職者を前に重要な演説を行った。
「われわれが最も聖なるものとする観念が、イスラム世界全体を、世界にとっての懸念、危険、殺害、破壊の源たらしめることなどあってはならない。……この観念―私が言うのは宗教ではなく、あくまで観念だ―は今や世界を敵に回している。16億の人間が、自らの生き残りのため、世界の残り、すなわち70億の人間を殺していこうなど、果たして可能だろうか」
この演説に米保守派はいち早く注目し、「アラブ最大の人口を有する国の大統領が大胆かつ刺激的な動きに出た。彼は米国の、そしてより広く西側の支持を必要とする」(ジョン・ボルトン元国連大使)、「極めて勇気ある行為」(評論家ジョージ・ウィル氏)といった発言が出ている。
シシ大統領は1月6日、キリスト教徒(コプト正教会)の集会に異例の出席をし、宗教の枠にとらわれずエジプト人として連帯しようと呼び掛けてもいる。
事実、アルカイダやイスラム国に代表される「イスラム・ファシズム」の特徴は、異教徒のみならず、同じイスラム教徒であっても、自己の歪んだ解釈に従わない者は容赦なく殺害し、あるいは奴隷化する点にある。
●敵はイスラム・ファシズム
フランスの新聞社を襲ったテロ事件について、「宗教に関して悪趣味な風刺画を載せる方も問題」「表現の自由といっても宗教への配慮は必要」といった議論は本筋を外している。テロリストが文字通り殺人的な強力さで伝えたメッセージを、机上で淡く繰り返すことに大した意味はない。
1月15日、ローマ法王フランシスコが「他人の信仰を侮辱してはならない。もし私の母を罵るなら、友人であっても、パンチが飛んでくることを覚悟せねばならない」と述べた。この発言はもちろん正しい。が、友人にパンチを飛ばすことと、殺すこと、ひざまずかせて首を切ることとの間には決定的な違いがある。重要なのは、その違いに焦点を当てることだろう。
国内、周辺地域に多くの過激派を抱えるエジプト大統領の政治手法は、先進自由主義国の基準に照らせば、おそらく強引で権威主義的なものであり続けよう。しかし、妥協の余地なき敵はイスラム・ファシズムであることを見据えた上で、機動的に協力を図っていきたい。(了)