公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

井上和彦

【第294回】パラオが両陛下を熱烈に歓迎した理由

井上和彦 / 2015.04.13 (月)


国基研客員研究員・軍事ジャーナリスト 井上和彦

 

 4月8、9の両日、天皇陛下の悲願であった戦没者慰霊のためのパラオへの行幸啓が実現したが、パラオ共和国の国を挙げての歓迎ぶりはあまりにも印象的だった。

 ●近代化に尽くした日本
 パラオは、第1次世界大戦後のパリ講和会議でドイツ領から日本の委任統治領となり、日本政府はこの地に南洋統治の行政機関「南洋庁」を設置した。日本統治時代のパラオでは、台湾や朝鮮の統治に倣って、近代化のためインフラ、教育制度、医療施設の整備が行われた。
 道路や橋、水道、電気など人々の暮らしに欠かすことのできないインフラが次々と整備されていったことで、パラオ人の生活水準は急速に高まった。1915(大正4)年にはコロール島に公学校(島民向けの学校)が開設され、それ以降、マルキョク、ガラルド、ペリリュー、アンガウル、ガラスマオにも公学校が開設された。加えて病院・医療施設が設置され、日本は、植民地の搾取に明け暮れ愚民化政策を推し進めていた欧米列強とは全く異なる統治を行ったのである。
 第2次大戦で日米の激しい攻防戦が行われたペリリュー島では、その戦闘を前に日本軍は全島民を島外へ避難させた。こうしたことから、今回の行幸啓に際して日本のマスコミがどれだけマイクを向けても、地元パラオの人々から戦前を批判する声は出てこなかった。

 ●韓国人組織が「反日」記念碑
 そんな親日国家パラオに楔を打ち込んできたのが韓国だった。
 1977年、パラオ最大のバベルダオブ島とかつての首都所在地コロール島を結ぶ「KBブリッジ」が韓国の建設会社によって架けられた。だが96年9月29日、この橋は轟音と共に中央部が折れて、海峡に崩落したのだった。パラオは「安かろう、悪かろう」を思い知ったのである。そこで翌年、日本の援助で新たな橋を架けることが決まり、2002(平成14)年に立派な「日本パラオ友好橋」が完成した。
 ところが新たな橋ができた2年後、今度は、戦前日本が「連行」した朝鮮人をパラオで強制労働させ、あるいは暴行・虐待したと刻んだ「韓國人犠牲者追念平和祈願塔」なる反日記念碑が国会議事堂から150メートルほどの至近距離に韓国人組織によって建立されたのである。
 だが、同じく日本に統治された地域の中で、パラオと台湾が日本統治を称賛し、当時を懐かしむ声すらあるのに、なぜ韓国だけは日本統治を暗黒の時代と捉えるのだろうか。日本は朝鮮半島にだけ特別過酷な統治をしたというのだろうか。
 天皇、皇后両陛下の行幸啓を契機に新たに注目の集まるパラオの近現代史を探求することは、韓国の仕掛ける対日歴史戦への有効な対抗手段となろう。(了)