米コネティカット大学のアレクシス・ダデン教授が『週刊金曜日』(4月10日号)に「日本政府の歴史問題への介入に抗議する」と題する一文を寄稿している。ダデン教授は、日本政府が米マグロウヒル社の世界史教科書の慰安婦記述の訂正を求めたことを批判した米歴史学者20人の声明文の執筆者である。声明文は3月2日に米国歴史学会の月刊のニュースレターにダデン教授の投書の形で掲載された。
ダデン教授の週刊金曜日への寄稿文は、現代史家の秦郁彦氏と明治大学特任教授の大沼保昭氏が3月17日に東京で記者会見を開き、マグロウヒル社の教科書の問題点八つを具体的に指摘し、日本の大学教授ら19人の連名で同社に「訂正勧告」を行ったこと(『VOICE』5月号の拙稿参照)に反論したもので、次のように主張している。
●事実の探求こそ学者の本分
「今回の私たちの(米国歴史学会ニュースレターへの)投書はこの教科書の内容自体を議論するものではなく、それが扱う歴史について確定的な見方を唱えているのでもない。……私たちが主張しているのはこの歴史から学ぶにあたっての学問の自由である。その自由とは何かというと、国家の検閲から自由な環境で学問的な探求をし、教育を行い、出版活動を行うことである。私たちの投書に対して秦氏は記者会見の場を設置し、秦氏や彼の仲間たちが米国の歴史学者や出版社は無知だとしてマグロウヒル社に送った声明を開示した。……その失敗ぶりは奇妙であった。……この問題の本質である被害者の深刻な人権侵害から目を背ける混乱をもたらした」
ダデン教授は、問題の本質を「学問の自由」と被害者の人権侵害にすり替えている。ダデン教授は「その失敗ぶりは奇妙」と批判したが、「教科書の内容自体」や「(教科書)が扱う歴史についての確定的な見方」に直接関係する歴史的事実について研究し議論するのが歴史学者の本分ではないのか。その本分を否定する非学問的態度こそ「奇妙」ではないか。
●国家元首への非礼
「学問的な探求」を一方で主張しながら、歴史の真実の解明から逃げるのは矛盾している。「慰安婦は天皇からの贈り物」などという国家元首に対するあまりに非礼な教科書記述が、「学問の自由」の名の下に許されていいのか。歴史的事実についての客観的な再検証を行い、正々堂々と学問的論議を尽くすべきである。
早稲田大学フルブライト研究者のジェイソン・モーガン氏は、米国の歴史学者の大半が日本への偏見に満ち、慰安婦問題などで異論を全く認めないと批判している(国基研ホームページ)。日米の歴史学者が公開討論を行うことを提案したい。(了)