日本のジャーナリズムもこれほど薄っぺらになってしまったのか、との印象を持った。50周年談話(村山談話)や60周年談話(小泉談話)にあった「侵略」、「植民地支配」、「反省」、「謝罪」などのキーワードが安倍談話に盛り込まれているかどうかをめぐって大騒ぎを演じた。同じ言葉を使っても語調、文体は筆者の気持を表していて、書き様によっては意味が大きく違ってくることに気付かないのだろうか。
●「侵略」について一般論を述べた安倍談話
安倍談話で最も重要な部分は、8月6日に発表された有識者会議「21世紀構想懇談会」が示した報告書を尊重すると言いながら、基本部分を無視した点にある、と私は思う。つまり報告書の「日本は、満州事変以後大陸への侵略を拡大した」という史観には触れていない。満州事変がいかに複雑かは、東京裁判の冒頭陳述で弁護団長の清瀬一郎氏が引用したリットン報告書の「本紛争に包含せられるがごとき諸問題は、往往称せられるかごとき簡単なものにあらざること明白なるべし。問題は極度に複雑なり。一切の事実およびその歴史的背景に関する徹底せる知識ある者のみ、実態に関する確定的意見を表示しうる資格ありというべきなり」という部分を一読しただけでわかる。
過去20年のうちに日本の中学校の歴史教科書8社中「侵略」の表現を使っているのは3社に減ってきた事実を有識者会議は一体どう考えているのか。
「侵略」について安倍談話は、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威力や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と一般論を言っているだけだ。国際連盟、パリ不戦条約、国連憲章、日本国憲法第9条第1項に記される国際秩序の基本原理の尊重を述べているのであって有識者会議の「侵略史観」に沿っているとは言い難い。
●「謝罪」はこれで終わりだという宣言だ
「反省」と「お詫び」が含まれているかどうかを問題にしてきたのは中韓両国よりも日本の新聞、テレビの大方であった。安倍談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持を表明してきました」と述べた。英文法でいえば現在完了形であって現在完了進行形ではない。これまでの政府とは別に安倍政権は新しい時代に出発しますよとの含意だ。安倍首相は苦難の道を歩んできた国々としてインドネシア、フィリピンなど東南アジアの国々、台湾、韓国、中国を列べたが、私は首相が公式文書で中国に何の遠慮もなく、「台湾」を国名に挙げた事実を高く評価する。
対内、対外発言の中核は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」のくだりだろう。謝罪はこれで終わりとの宣言だ。
70年前の日本の非を云々する人々に告げる。いま軍事力を背景に事実上の侵略を続けているのはどの国か。痛切な反省などするどころか弱肉強食の時代よろしくチベット、ウイグルなどを「植民地」にしているところはどこなのか。良識ある人は笑っている。(了)