公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

今週の直言

塚本三郎

【第7回】鳩山対吉田の孫達の因縁

塚本三郎 / 2009.10.05 (月)


国基研理事 塚本三郎

政治とは、天命なのか。否、大衆が天命に動かされ、振り回され、大きな波動となって、政治を因縁付けて来たのではなかろうか。

公職追放が遺恨の原因
敗戦後いち早く戦前からの因縁に基づいて、鳩山家を引き継いだ鳩山一郎が中心となり、河野一郎や三木武吉が中核となって、自由党を結成した。ところが、不幸にも彼等は、戦時中の言動が問われて、公職追放の身とされた。

致し方なく、折角創り上げた自由党を、吉田茂を中心とする官僚群に預けざるを得なかった。鳩山等は、追放はほんのいっときのつもりであった。ところが中々解除されない。吉田派が解除を延ばさせたとの憶測もある。

解除になれば、吉田が鳩山に総裁を譲るものとみていた。ところが、日本が独立し、追放を解除になっても、吉田派は一向に総裁の席を譲る気配をみせない。問題がこじれた結果、吉田は抜き打ちで衆議院を解散した。

吉田首相は米国の機嫌を窺い、憲法改正と軍備強化に消極的であったから、鳩山派は吉田派と対抗するため、再軍備と憲法改正を主張した。鳩山一郎派、即ち日本民主党は、やがて社会党の増大に対抗して、自由党と合同した。

世に云う五十五年体制であり、保守合同である。その結果、鳩山一郎が、漸く保守党の自由民主党総裁の座を占めることが出来た。鳩山一郎は、ソ連との国交回復が唯一の治績とされている。鳩山一郎を中心とする反吉田派の遺恨は、即、嫌米へと連動していると推測する。原因は占領下の公職追放に在るとみる。

祖父の嫌米引き継いだ由紀夫氏
日本経済が外需即ち輸出貿易中心の発展を遂げつつあったとき、自民党内には、異質の政治家田中角栄が、頭角を現した。田中は、資源外交について対米依存の不利を悟って、全世界に、必要な資源の開発と供給の場を求めた。それが世に云う「虎の尾を踏んだ」ことになり、米国の怒りを買った。

田中を師として、小沢一郎、鳩山由紀夫たちが、日本の自主独立を掲げて、官僚群、即ち吉田の流れを汲む福田、麻生に対抗することは、極く自然の流れである。残念なことに、小沢、鳩山一派にとっては、日本国家の「独立自存」の主張は、嫌米、反米の口実に過ぎず、その行き着く処は、憲法改正でも防衛力の整備でもない。結果は中国に媚びる道を進め、平和と名づける「日本弱体化」に他ならない。

吉田茂対鳩山一郎の祖父の争いが、孫の麻生太郎と鳩山由紀夫にまで引き継がれ、その結果、より危険な嫌米、媚中の政権が生まれた。 (了)

PDFファイルはこちらから
第7回:鳩山対吉田の孫達の因縁(塚本三郎)