戦争に敗北した日本が一時期目指した「軽武装・経済大国」の代名詞「吉田ドクトリン」の亡霊は永田町に生きていた。自民党の岸田文雄政調会長率いる岸田派(宏池会)が4月18日に公にした政策である。
●岸田派が「平和憲法」擁護
読売新聞4月19日朝刊の記事によれば、政策骨子の名称は「K-WISH」。キーワードは「トップダウンからボトムアップへ」だそうだ。安倍政権に対するあてこすりであることは一目瞭然であるにもかかわらず、禅譲を期待するなどと外に向かってほのめかす上手な世渡りをしている。
KはKind(優しい政治)、WはWarm(温かい経済)、IはInclusive(包括的な社会)、SはSustainable(持続可能な土台)、HはHumane(人間味ある外交)だそうだ。いっそのこと、会話も英語を義務づけたらどうか。
問題はHだ。「平和憲法・日米同盟・自衛隊の3本柱で平和を創る。核軍縮を先導」の説明は、護憲か、少なくとも憲法9条には触らぬ主張としか考えられない。小野寺五典防衛相はわれわれ国基研の討論会に出席し、理路整然たる主張で感銘を与えたが、この人が宏池会のメンバーだとは信じられない。
●軽武装路線に先祖返り?
今から33年前、東京工業大学教授の永井陽之助氏が「現代と戦略」と題する著作をものにし、戦後の日本が取ってきた軽武装・経済大国路線を吉田ドクトリンと名付けた。吉田茂元首相はドクトリンなるものを唱えた事実はないのだが、永井氏がつくり上げたこの言葉は独り歩きしてしまった。
永井氏とは月刊誌などで論争をしたものだが、日本が戦後の一時期に陥った状況を同氏は正確に見ていたと思う。吉田、池田勇人、大平正芳、宮沢喜一各元首相らいわゆる保守本流によって継承されてきた政策を吉田ドクトリンと称するのだというのが永井氏の指摘だった。
強力な米軍によって安全保障面の心配をすることなく、カネもうけに走り、エコノミック・アニマルと非難された時代に宏池会は逆戻りしようというのであろうか。岸田派のパーティーに出た公明党の山口那津男代表は「今こそ宏池会の出番だ」とエールを送ったという。自民党竹下派会長に就任した竹下亘総務会長は「政策的に一番近いのは宏池会だ」と述べ、9月の自民党総裁選で岸田氏支持もあり得るとの考えを明らかにした(読売4月21日付コラム「補助線」)そうだ。
北朝鮮の金正恩労働党委員長の大奇術に引っ掛かりそうな雰囲気が漂ってきた。(了)