公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

西岡力

【第511回】欺瞞と裏切りの板門店宣言

西岡力 / 2018.05.01 (火)


国基研企画委員・麗澤大学客員教授 西岡力

 

 「両首脳は、朝鮮半島にもはや戦争はなく、新たな平和の時代が開かれたことを8000万のわが同胞と全世界に厳粛に宣言した」。4月27日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の独裁者金正恩委員長が発表したいわゆる板門店宣言の冒頭部分だ。私はこの宣言に強烈な違和感を覚えたのだが、その理由の第一がこの部分だった。
 韓国を含む国際社会は、北朝鮮のような不良国家が核ミサイルを持つことは世界平和を乱すし、テロリストにそれを渡す危険も大きいとして、厳しい制裁をかけている。米国は核ミサイル放棄が実現しなければ軍事行動も辞さないとして、朝鮮半島周辺で繰り返して軍事演習を行ってきた。
 実際に戦争が起きるかどうかは、金正恩氏が完全なる核ミサイル放棄を実行するかどうかにかかっている。それなのに、この宣言では「もはや戦争はない」と一方的に主張している。

 ●核ミサイル放棄への言及なし
 もう一つ、この宣言のおかしな点は、南北関係のバラ色の未来ばかりを描きながら、肝心の核ミサイル放棄が書かれていないことだ。日本のマスコミは「完全な非核化を通して核のない朝鮮半島を実現する」という部分を大きく報じて、あたかも金正恩氏が核ミサイル放棄を約束したかのような雰囲気を作った。
 しかし、北朝鮮にとっての「朝鮮半島の非核化」とは、1991年に当時の金日成主席が提唱した「朝鮮半島の非核地帯化」を意味する。その時、北朝鮮は米軍撤退、米韓同盟解体をその中身として規定していた。だから、金正恩氏は中国の習近平国家主席に、朝鮮半島の非核化を金日成主席の遺訓だと語ったのだ。
 宣言で「朝鮮半島の非核化」を書いたすぐ後に、「南と北は、北側が講じている主動的な措置が朝鮮半島非核化のために非常に意義があり重大であるという認識を共にし」という文が入っている。「北側が講じている主動的な措置」とは4月20日の朝鮮労働党中央委員会総会で、核とミサイルの実験中止、核実験場廃棄を決めたことを指すが、この決定はその前提として「国家核武力がすでに完成した」ことを強調している。
 その上、4月22日には、言論機関と文学者に「(金正恩氏の)労苦により北朝鮮が堂々たる核保有国になったことを住民に宣伝せよ」という指令が下っている。つまり、宣言に書かれた「朝鮮半島の非核化」とは、核保有国である北朝鮮が米国と対等な立場で核軍縮を行うということなのだ。

 ●人権問題も取り上げず
 また、文大統領が金正恩氏とあれほど親しく話し合えたのは、北朝鮮の嫌がる人権問題を一切取り上げなかったからだ。安倍晋三首相の要請を受けて日本人拉致は話題にしたが、韓国人拉致、韓国軍捕虜抑留には言及しなかった。国連人権委員会でヒトラーやポル・ポトに匹敵する人権侵害が行われているとされた政治犯収容所や脱北者迫害についても全く触れなかった。それどころか、脱北者が故郷の住民に真実を伝えようと自腹で続けている風船ビラ送りを禁止すると一方的に宣言した。一言で言うと、板門店宣言は欺瞞と裏切りの宣言だ。(了)