公益財団法人 国家基本問題研究所
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今週の直言

【第50回】ねじれ国会は教育改革のチャンス

h0330 / 2010.08.10 (火)


民主党衆議院議員 笠浩史

私は、民主党の文部科学部門会議の座長、衆議院文科委員会の与党筆頭理事として、「ねじれ国会」を大いなる好機ととらえたい。

教育に党派の対立は必要ないし、「人づくりなくして国づくりなし」の信念の下、国の将来を憂える、与野党問わず多くの議員と日本の教育のあるべき姿を議論し、教育再生に努めることは急務である。国家戦略の中心に、国際的な競争に勝ち抜く人材育成を据えるべきである。

責任の所在を明確にする
日本の教育行政の最大の問題点は、責任の所在が明確でないことだ。学校設置は市町村、人事権は都道府県、学習指導要領は国というように、責任の所在がバラバラ。これを早急に見直す必要がある。地方自治体においても、予算編成は首長、教育行政は教育委員会という二元性を改めて、一元化する必要がある。

私は、教育委員会を廃止し、国民の直接選挙で選ばれる首長を教育行政の責任者として位置づけるべきだと思う。当然ながら、教育現場が過度に政治的にならないように、首長の教育行政をチェックしていく仕組みも作らなければならない。

また、公立学校においては、モンスターペアレンツと揶揄やゆされるような一部の父母のわがままを許さないためにも、校長の権限を強化しなければならない。そして、地域に学校を開き、校長を中心に地域の応援を受けながら学校運営を行っていくべきだ。

国がやるべきことは何か
同時に、国の最終的な責任を明確にする必要がある。北海道教組のような不正資金提供事件が起きても、文部科学省は直接の調査に乗りだすことすらできない。道教育委員会を通じて調査し、指導するのみである。また、独立機関としての教育委員会が権限を持っているため、一義的には知事や市長が直接の指導、是正を行うこともできない。

高校無償化に朝鮮学校を適用するかどうかの問題も同様である。文科省は外国人学校のカリキュラムが日本の高校課程に類するか否かの判断は行うが、その教育の中身についてどこまで踏み込めるのか曖昧あいまいだ。

朝鮮学校は各種学校であり、認可、監督責任は都道府県にある。私も「現代朝鮮歴史」という歴史教科書を読んだが、偏った思想教育に問題があるのは明らかだ。また、拉致問題などについての記述はとんでもない内容だ。国費を投入するのならば、こうした教育内容の是正が大前提である。このまま無条件で無償化の対象とするわけにはいかない。こうした判断をしっかりと国として責任と権限を持って行うことができるようにしなければならない。

何に対して国が権限を持ち、何を地方や学校の権限とするのか、首長、校長、あるいは親の責任は何なのか、今こそ、明確にしなければならない。(了)

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第50回:ねじれ国会は教育改革のチャンス(笠浩史)