国基研理事・拓殖大学大学院教授 遠藤浩一
逆転劇で自民党新総裁に安倍晋三元首相が選出されたことに関して、「地方票の軽視」とか、甚だしきは「民意の無視」といつた批判が一部から出てゐる。
同氏への攻撃を社是とする一部マスメディアはともかく、自民党の地方組織幹部までが怒りをあらはにして辞表を叩きつけるといふ事態はいただけない。自民党員諸賢は、もう少し冷静になつたはうがいい。
国会議員の意思尊重は当然
地方票と国会議員票をもつて選出するが、一回目の投票で過半数の支持を獲得した者が不在の場合は国会議員による決戦投票で決する――すなはち最終的には国会議員の意思を尊重するといふのが自民党の総裁選出規定である。代議民主制の下で選挙によつて選ばれた国会議員の意思と判断に重きが置かれるのは当然であり、議院内閣制を採用するわが国における〝責任政党〟の党首選出のルールとして、きはめて健全な仕組みといへる。
いや、国会議員も「地方票」が示した意思を追認し決選投票では挙つて石破茂氏に投票すべきであり、安倍氏も決選投票立候補を辞退すればよかつたといふ議論もある。しかし、これは最近流行の、住民投票や国民投票を重視する直接民主主義待望論への悪ノリでしかない。国会議員の判断より住民や党員の直の声が優先されるべきだといふ直接民主主義指向は、民主主義を衆愚政治に貶める一里塚である。かうした愚論にやすやすと乗つてしまふところに一部の自民党員の劣化があらはれてゐる。
政治家に求められるのは世論への迎合ではない。民意(とされたもの)をただ反映するだけですむのなら、代議民主制は機能しないどころか、不要である。民主主義の要諦は民意の反映と集約だが、昨今のやうに「住民本位」とか「民意尊重」が錦の御旗と化し、半ば暴走傾向にあるときは、むしろ「反映」より「集約」に配意すべきではないか。
自民党国会議員は今回、石破氏が地方票獲得で圧勝したのを見て、敢えて別の判断をした。これを「永田町の論理」と矮小化してはならない。地方票の動向に押されて国会議員が渋々石破氏を新総裁に選んだところで、新体制に強力な党運営を期待することはできない。安倍氏を擁護するために言つてゐるのではない。両氏の得票結果が全く逆であつても同じことが言へる。制度論として今回の結果にはなんら瑕疵はないのである。その上で安倍総裁は「地方の意思」を重視し、石破氏を幹事長に就けた。賢明な人事である。自民党員はこれを諒とし、政権奪還に向けた態勢づくりに本腰を入れるべきである。
党内融和優先の松原大臣更迭
他方、民主党代表に再選された野田佳彦首相は輿石東幹事長を留任させ、挙党態勢の構築を名目とした内閣改造で、人権侵害救済法案に慎重姿勢を示してゐた松原仁国家公安委員長を更迭した。ここには民意の集約も反映もない。ただただ党内融和、それだけである。まあ、いい。幹事長は党首と並ぶもう一つの「顔」なのだから、石破幹事長をカウンターパートとする討論から、輿石さん、どうか逃げないでください。(了)