「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。その際、日本大使は、登録された産業施設で戦時中に働いていた朝鮮人労働者について「forced to work under harsh conditions」(厳しい環境の下で労働を強いられた)と演説した。韓国はこの間、これら労働者が「強制労働」をさせられたと国際社会に宣伝してきた。日本が事実関係に踏み込んで反論せず、曖昧な表現を使って妥協したのは、これまでと同じ歴史戦での負けパターンだ。韓国の動きは予想されたことだ。日本外務省は朝鮮人労働者の戦時動員の実態を事前に調査し、英文などの分かりやすい資料で広報をしておくべきだった。
●韓国の対日歴史戦
韓国政府が対日歴史戦を公式に宣言したのは2005年だった。当時の盧武鉉大統領が3月、「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫こうとする(日本の)意図をこれ以上放置できない」と述べて、多額の国費を投じて東アジア歴史財団を作る一方、全世界で日本を非難する外交戦争を展開し、それが現在まで続いている。
日本は同じ年に小泉純一郎首相の戦後60年談話を出し、「侵略」と「植民地支配」を謝罪したが、日本の国益を守る立場から歴史的事実を研究し、国際広報をする体制を作るという問題意識を持たなかった。
私はこの年、強い危機意識をもって『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』という本を出版し、朝鮮人の戦時動員について以下のように書いた。
●強制労働と異なる実態
一、日本で国家総動員法が施行された1939年から45年までの間に在日朝鮮人は120万人増え、終戦時には200万人になったが、そのうち同法に基づく戦時動員労働者は32万人だった。つまり、動員された者は全体の15%、動員期間中の増加分の25%に過ぎず、それ以外は自分の意思により内地で暮らす者だった。
一、当時、朝鮮と内地の産業開発の差、及び内地の男性が徴兵で払底していたことなどから、朝鮮からの出稼ぎ希望者が多数存在し、不正渡航者も多かった。動員期間中も、約2万人の不正渡航者が捕まり、朝鮮に強制送還されていた。なかには、徴用者になりすまして不正渡航して捕まった者もいた。
一、国家総動員法に基づく朝鮮人労働者の動員(募集、官斡旋、徴用の3段階があった)は軍需産業に労働者を向けようとしたものだが、それは全体として失敗だった。募集の時期(1939〜41年)は動員数の3倍が個別に渡航した。官斡旋と徴用の時期(42〜45年)は動員された者の4割が職場を脱出し、待遇の良い他の職場に移った。
一、徴用工の待遇も悪くなかった。ある者は広島の工場で月給140円を支給され、新しい寄宿舎にふかふかの布団があり、毎晩酒盛りができた。別の者は大阪の工場を逃げ出して東京の朝鮮人親方の飯場に行くと、戦争末期の1945年に白米、牛肉、どぶろくがあり、日給15円ですぐに雇ってもらえた。
まず、事実関係をきちんと研究・整理し、外交戦に備えなければ、今後も負け戦が続くだろう。(了)