夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法違反かを問う訴訟で、最高裁判所大法廷が11月4日、当事者双方の意見を聞く弁論を開き結審した。年内にも判決を言い渡す見通しという。同規定の是非にはここでは立ち入らない。注意したいのは、原告側が「改正の動きを見せない国会には期待できず、最高裁が救済してほしい」と強調している点である。国連の女子差別撤廃委員会や自由権規約委員会が日本に対し数次にわたり同規定の撤廃を勧告したことも、原告側は追い風としてきた。
●議員に見られる責任回避感覚
憲法で「国の唯一の立法機関」と位置づけられる国会を迂回し、国連や裁判所を利用して法の改廃を目指す動きが強まる中、不可解なのは、国会議員たちの沈黙である。本来ならば、与野党問わず議員から「立法行為は国会の責任範囲」と国際機関や司法の越権を強く牽制する声が上がって然るべきだろう。ところが実際は、多くの議員が傍観しているどころか、微妙な問題はむしろ裁判所に決めてもらいたいという無気力な姿勢まで見られる。そうした姿勢の議員たちに、一般法の改廃より遙かに見識とエネルギーを要する憲法改正に踏み込むことが果たして期待できるだろうか。
●不透明かつ安易な最高裁人事
日本国憲法は最高裁に「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する」強大な権限を与えている。選挙を経ない15名の最高裁判事が、その多数決で、民主的に衆参両院を通過した法律を無効にし得るわけである。現行憲法下、最高裁判事の選任は内閣に委ねられている。国会の同意人事ですらない。最高裁判事の任命に上院の承認を要し、公聴会が開かれる米国と比べ、透明度は遙かに劣る。その分、首相の責任は重大である。
9月19日に成立した平和安全法制の審議過程で、自民党は高村正彦副総裁を中心に、「最高裁判決こそ拠って立つべき法理。憲法の番人は最高裁であって、憲法学者ではない」と強調した。では最高裁人事はどの程度慎重に行われているのか。
安倍内閣は2013年8月、集団的自衛権に関する憲法解釈変更に抵抗した山本庸幸内閣法制局長官(旧通産省出身)を更迭した後、最高裁判事に任命している。山本氏は就任会見で、集団的自衛権行使には「憲法改正しかない」と改めて主張、菅義偉官房長官が「極めて違和感を覚える」と批判する事態に至っている。
山本氏は判事中の「行政官枠」(2人=現在は厚労省1人、経産省1人)を割り当てられたものだが、前任者は元外務事務次官の竹内行夫氏だった。同氏は次官当時(2002年2月~2005年1月)、「制裁は北朝鮮を刺激するだけ」等の発言を繰り返した対北宥和派で、「高い見識を持ち、法律に詳しい」という要件を満たす人物だったか疑問である。最高裁判事は、更迭・退任後の官僚を慰撫する名誉職ではない。その人事に対し、我々は監視の目を強めるべきだろう。(了)