国基研副理事長 田久保忠衛
GHQ(連合国軍総司令部)のホイットニー民政局長から「(米側の憲法草案をのまなければ)天皇の身体を保証することができない」と脅し上げられた末にできた憲法だ、と説明しても、それをどれだけ屈辱と思うかは人によって差があるのだろうと思う。だが、GHQは立派な行動によって「日本軍国主義」の息の根を止めてくれたと本気で感謝している人々は護憲派の中にも現在どれだけいるのか。
中露朝に日本の安全を任せる異常さ
ましてや、憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の頭に「ロシア、北朝鮮、中国のように」を付けて読んでみたらいい。これらの国を「平和を愛する諸国」と信じている護憲派が実際に存在するとは思えない。
外国からの武力攻撃や大規模な自然災害に対応する非常事態条項が憲法にないこと自体、異常だが、これを何とか憲法に盛らなければと提案した人に対して民主党参院議員の前川某が「火事場泥棒的改憲だ」と批判したという。護憲派は日本人の生命、財産を守ろうとする向きを「泥棒」と見ている人々の集団に違いない。
私は、岩が浮かんで葉っぱが沈むような日本の異常を正すチャンスが3度あったと主張してきた。最初は1951年にサンフランシスコ講和条約が調印された機会だ。独立と同時に自前の憲法を何故つくらなかったのか。
次は79年にソ連がアフガニスタンに侵入した際だ。中国の実力者だった鄧小平氏は中曽根康弘氏に、防衛費をGNP(国民総生産)の1%以下にするとの縛りを外すべきだと説き、ブラウン米国防長官(当時)も訪日して「日本は着実で顕著な防衛努力をしてほしい」と要請した。憲法9条改正のまたとない国際環境が出来上がっていた。
今こそ第4のチャンス
3番目は90年から91年にかけての湾岸危機だ。クウェートから撤退しようとしないイラクのサダム・フセイン大統領に対して、米国を先頭に民主主義国28カ国が多国籍軍に参加したが、日本は130億ドルの拠金で責任を回避し、血も汗も流そうとしなかった。有志連合諸国の失笑を買ったのは、戦後にクウェートが米紙を通じてお礼を述べた対象国30カ国の中に日本の名前がなかったからだ。
日本では3回とも憲法改正の気配は生まれなかった。周辺諸国とりわけ中国が軍事力を背景に強硬な外交路線を変えようとしない現在、日本は第4のチャンスを迎えているのにどうしたのか。政治家、マスコミの責任をうんぬんするのは飽きた。国民が自覚するほかない。8月3日の国基研月例研究会では、そのようなことを話そうと私は考えている。(了)
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第152回:憲法改正へ国民の自覚を問う(田久保忠衛)